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インプット、アウトプット、どっちが先?

「インプットとアウトプットって
 どっちが大切なんですか?」
 
なんていう問いかけをいただくことがあるんだけど。
 
 
まぁ、どっちも大切じゃん?と思う。
すげー無責任な返事になってしまってるが。
 
 
ただ、
 
「何らかの成果をあげる」
 
ということに的を絞ると、
その優先順位は明らかなようにも思う。
 
 
 
もちろん、
インプットとアウトプットは「循環」なので、
どちらもバランスよく流れるのが大切。
 
 
その上で、
どちらを先にすることを意識する方が
成果につながるのか?と問われれば、
 
 
「アウトプットを先にする方を
 意識した方がいい」
 
 
と私は答える。
 
 
 
なぜならば。
 
アウトプットをしない限り、
インプットの方向性が定まらないからだ。
 
 
どんなアウトプットをしているかで、
次にインプットすべき、インプットしたいものが
俄然変わってくる。
 
 
誰かに何かのコツをアウトプットすれば、
さらなるヒントになるものにフォーカスするから、
またそれをインプットするようになる。
 
陰謀論をアウトプットしていれば、
さらなる陰謀論を見つけ出そうと
それらをインプットするようになる。
 
 
というように、
誰に、何を、どんな風にアウトプットしたいか?
それが方向性を生む。
 
 
漠然とだとしても、そう意識するから
 
「じゃあ、この知識を深めないとな」
 
「必要だから、アンテナを張っておこう」
 
という「循環の道すじ」が生まれてくるのかな?
なんて風にも思う。
 
 
 
あと、アウトプットは、
意識しないとできない、という性格もある。
 
 
インプットはバリバリ100%にしているけれど、
アウトプットはゼロ、という状態には
なりやすいけれど、
 
 
アウトプット100%で
インプットはゼロ、というのは
なかなか生まれにくい状況だ。
 
 
安易に流れやすいのは、
実のところ「インプットばかり」の方だ。
 
インプットは(選ばなければ)勝手に
向こうからやってくるが、
アウトプットは本人の意思が必要だ。
 
 
 
もし仮に、どちらにも善意があるとして。
  
本とか情報収集が好きで知識が豊富だけれど、
誰にも何にも発信しない人と、
 
とにかく人によかれと思って
いろいろと発信をしまくる人。
 
 
どちらが何らかの成果をあげやすいか?
と言ったら、やはり後者になるだろう。
 
 
、、、いや、だから、今回は
「何らかの成果をあげる」って話だって
言ってるじゃん。
 
 
知識をため込むことそのものが好き!
っていうのであれば、
それが欲しい成果だからいいと思う。
 
ただ、循環は起こらないから、
その先の成果には、なりにくいよね、ってだけで。 
 
 
 
そう。
 
 
よい人間関係を作るのも、
相手に何かをするアウトプットから循環がスタートする。
 
経済的に豊かになるのも、
ビジネスの場において、価値あるアウトプットをするところから
循環がスタートする。
 
健康も、何を食べるか?も大切だけれど、
どう汗を流し、どんな排泄を理想とするかを意識した方が
健康体に近づく。
 
 
 
そもそも、我々は赤ちゃんとして生まれてきた瞬間、
オギャー!という泣き声のアウトプットから
抱っこという愛情や、食べ物をインプットしてきている。
 
 
泣き声がなかったら、何も手に入れていない。きっと。
 
 
 
 
なので。
 
どんなに稚拙であったとしても、
どこか間違っていたとしても、
 
「誠意あるアウトプット」から始めることが、
誠意ある成果を得る循環になるように思う。
 
 
ま、逆に言えば「悪意あるアウトプット」は、
悪意ある成果を呼び招くことになるのかもね。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
インプットは、もちろん大事。
 
ただ、インプットしただけでは、
それは情報であれ、食事であれ、愛情であれ
その時点では自己満足にすぎない。
 
 
循環を創りだしてはじめて、
そのインプットは価値あるものになるんじゃないかな?
 
 
そしてそのためには、
  
「アウトプット・ファースト」
 
を意識しないと、ついつい意固地クレクレの
「慢性便秘」に陥ってしまうのかもしれないね。
 
 
循環を創りだせるのは、
まずは自分の「提供する」意識かな、と。
 
 
ワタシができているかどうかは
ぜんぜん分からないのだけれどね。
 
 
ではでは。
 
 

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