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「集まる」は、集めた後。

最近、集客関係の広告で
「集めるじゃなくて、集まる集客」
みたいのがチラホラあるのだけれど。
 
コピーライター的な私見としては、
それは耳ざわりのいいホラのように思えてしまう。
 
 
いや、それでマジでうまくいっているのであれば
それは尊敬に値するし、
スタンスとしてそうであるのならば立派なことだ。
 
 
ただ、
 
「あー、集めるのって難しいし、面倒。
 え?集まるってのがあるの?ラクできそう!」
 
って心理からであるのならば、
それはお客様に対する誠意がうすい気がする。
 
 
 
だってさぁ。
 
「集まる」っていう状態が機能するためには、
その前提として「説明をする必要がない」という
状態までもっていかなければならないやん?
 
 
人が動く時には、
 
動くに値するくらいのプラスの魅力を感じるか、
現在のマイナス状態を解消できる可能性を感じるか?
 
その2つしかない。
 
 
なので、
 
「あなたにプラスがありますよ!」
 
あるいは
 
「あなたのマイナスを軽減、解消できますよ!」
 
ということを理解してもらう必要がある。
 
 
 
それをしないで済むのは、
相手にとって「既知の価値」がある時だけだ。
 
 
欲しいものが安い、とか、
 
好きな人がその場にいる、とか、
 
何か得がある、とか、
 
失いたくないものを失わずに済む、とか、
 
肉体、精神、経済的な痛みを取り除ける、とか、
 
うれしい、たのしい、美味しい、とか、
 
 
そこに行けば、それらが確実に得られる、と
 
「すでに知っている」←重要
 
場合のみ、「集め」なくても「集まる」が成り立つ。
 
 
あたりまえ体操やろ?
 
 
 
 
そして、個人事業主さんや、
スタートアップ時のサービスで
 
「すでに知っている」
 
を持っていることは、極めてまれだ。
 
 
特に付加価値の高い商品やサービスで
「集まる」を初手からできる!と思うのは、
 
「そいつは無茶ですぜセニョリータ」
 
というものだ。
 
 
 
もし、「集まる」がそんなに簡単だったら、
広告がこんなに目に飛び込んでくるはずがないし、
コピーライターもいらない(笑)。
 
 
 
小規模ビジネスである場合、なにかしらで
「大企業ではできていないこと」を
打ち出していることが多いだろう。
 
そういう意味において、
何かしらの「世に周知されてないもの」を
サービスとして出していることになる。
 
 
なので、
 
「まだ世の中に認知されきっていないもの」
 

 
「人が集まる」
 
というのは、矛盾をはらんでいると言える。
 
 
 
仲間内、あるいは仲間からの口コミで充分!
という場合は、それでオッケーだし、
 
どれくらいの告知までは
「集めているんじゃなくて集まっているんだ」
と測るかは、提供者しだいだ。
 
 
そのうえで、
 
やっぱり自分のサービスを
丁寧に説明する努力をするのが
お客様に対する誠意であるし、
自分が提供しているものに対する愛情だと思う。
 
そう考えると、少なくとも軌道に乗るまでは
「集める」をしないとムズいんじゃないかな?
 
と思うのでありんす。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
あくまでコピーライターから見て、
という話になるけれど。
 
 
個人事業主さんや、
知られていないサービス・人で
初手から「集まる」ができたのを見たことがない。
 
 
出来たとしたら、
それは競合がめっちゃ多いレッドオーシャンだ。
 
 
なので、
 
「これからは、集めるじゃなくて、集まる集客!」
 
っていう広告で「集められる側」になるのでなく、
自ら汗をかいて「集める」方がいいように思いまする。
 
 
そもそも「集まる集客!」って広告を出している時点で
集めてますやん!とツッコミたくなるやん。
 
 
 
ってなわけで、
 
うまく行っているのであれば
何の文句もないけれど、
 
「集まるのは、
 集める努力を過去にしたものだけ」
  
と思っておいた方が、辛たんにならないと思いまする。
 
 
そのスマートさは、お客様のためのものなのか?
それとも自分が傷つきたくない、覚悟のなさからなのか?
 
 
私も気をつけたいと思います。
  
 
ではでは。
 

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