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「自分らしさ」という、甘いワナ

今回は、あえてちょっと痛烈なので、
気分を害したらゴメンナサイ。
 
 
 
 
さて。
 
 
本とか、いろんな人が発するメッセージを見ていると
ちょくちょく
 
 
「自分らしさを大切に」
 
 
みたいなことを目にすることがある。
 
 
 
とても素敵なメッセージだし、
それだけで気持ちがフワフワするような気がするけれど、
 

 
 
「じゃあ、自分らしさ、って何なの?」
 
 
 
 
というと、あまり深くは語られていないものが
多いような気がする。
 
 
 
 
 
自分らしさという定義。
 
 
 
けっこう難しいように感じるんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
もちろん、人それぞれの定義でいいと思うんだけれど、
個人的には、
 
 
「自分が安心していられる」
 
とか、
 
「楽しいことしかしていない」
 
とか、
 
「好きな人しか周りにいない」
 
といったことが、そのままイコール
「自分らしい」とは限らないんじゃないか?
 
と思っている。
 
 
 
 
 
 
 
人間は、様々だ。
 
 
 
 
酒に呑まれて酔い潰れて道路で寝ているのが
「自分らしい」という人もいるだろうし、
 
 
エロいことばっかり考えて一日を浪費するのが
「自分らしい」という人もいるだろう。
 
 
ちょっとしたことですぐにカッとなるのが
「自分らしい」場合もあるだろうし、
 
 
人にバカにされて笑われているのが
「自分らしい」という人だって、いるに違いない。
 
 
 
普段、習慣化されているものが
「自分らしい」ということだったら、
今、例を挙げたような感じになる人だって多いだろう。
 
 
 
 
 
 
 
自分がラクをできて、
 
好きなことを思いつきでやって
 
周りにそれを否定する人がいない、
 
 
そんな状態が「自分らしい」と思っているのは、
言っちゃ悪いけれど、
頭がお花畑になっているように感じられてしまう。
 
 
 
 
個人的には。
 
 
 
「自分らしさ」というのは、
 
どんなに人から理解されなくても、
 
どんな迫害的な行為にさらされても、
 
自分になんの直接的メリットがなくても、
 
 
 
 
「これは、やめられない」
 
 
「これがなくなったら、
 生きている意味がない」
 
 
「ああ、結局コレしかないんだなぁ」
 
 
 
 
ということに在ると思うんだよね。
 
 
 
 
 
自分が平常時にも自然にやっていたり
自然に考えていたり、心に浮かぶこと。
 
 
そして、
 
 
自分の生活が破壊されるような混乱時であっても、
ついやったり、考えたり、心に浮かぶこと。
 
 
 
そんなものが「自分らしさ」という
パズルのピースなんじゃないかな?
 
 
と思うんだけれど、極端すぎ?
 
 
 
 
 
 
 
 
私は何の宗教にも入っていないんだけれど、
仮に神様がいるとして。
 
 
 
もしかしたら、神様は、
 
 
「あなたの生涯で、特にやってほしいことはないよ」
 
 
と思っているかもしれないし、
 
 
「あなたには別に用はないんだけれど、
 あなたの5世代先の子孫には、用がある」
 
 
と思っているかもしれない。
 
 
 
そんなのわからない。
 
 
 
 
 
でも、そんな神様の計画にすら反抗するように
 
「これが私」
 
と、自分をかたち作っていくものがあっても
いいんじゃないかなぁ、なんて思う次第。
 
 
 
 
 
「自分らしさ」は別に
いわゆる「熱い」ものである必要なんて、ない。
 
 
 
 
鼻歌を歌うことかもしれないし、
 
日々料理を作ることかもしれない。
 
 
誰かを静かにサポートすることかもしれないし、
 
ただ、日々を生きることかもしれない。
 
 
 
誰もが生きているだけで素晴らしいという考え方には
大いに賛成するし、
全員が巨大なビジョンを持っていなくてもいいと考えている。
 
 
 
ただ、
 
 
「自分らしい」という言葉の響きだけに酔って、
いつの間にか年老いてこの世を去って行った。
 
 
なんてのは、本当に自分らしかったのかな?
 
 
と、疑問を持っちゃうだけなんだよね。
 
 
 
 
そういう私自身、何をもって
「自分らしい」とするかは、
まだ完全に正体がつかめているわけでもない。
 
 
「自分らしい」という言葉の罠に、
お互いハマらないように気をつけたいよね。
 
 
 
というわけで、
 
とりあえず私は、今日も自分らしく
飲み会に行って酔っ払って失敗してきます(笑)
 
 
ではでは。
 

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