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「好きなことを」残酷物語。

こんにちは!
屁理屈バンザイ!イグゼロです。
 
 
 
今日は、何回か噛みついている
 
 
「がんばらなくていいんだよ」
  
系に基づいた屁理屈を展開してみたいと思います。
 
付き合ってくれたら、めっちゃハッピーです(笑)
 
 
 
 
さて。
 
 
まぁ、「がんばらなくていい」みたいなメッセージの
真髄が分かっていないので、何とも言えないんだけれど、
 
 
「がんばるのをやめていいんだよ」
 
「自分の心がワクワクすることをやればいいんだよ」
 
 
というのが、メインメッセージだと理解している。
 
 
 
それを個人的に咀嚼すると、
 
「ああ、たしかにそうだな」
 
「でも、それって、けっこう残酷じゃね?」
 
なんていう風に、最近は思えてきた。
 
 
 
 
 
私程度の人間でも、たぶんこれから
 
 
・インターネットのますますの普及により、
 既存の情報や、飛び抜けて素晴らしいメディア以外は
 価値が低下してゆく。
 
 
・年金や医療費など、政府の財源は圧迫されてゆく
 
・外国人労働者など労働力の流出入は増える。
 また、単純作業はロボットなどが人に変わって行なう。
 
 
ってのは、予測できる。
 
 
 
今までは、ロボットなどはいなかったから
マンパワーの「がんばり」が、非常に重宝だったし、
 
その「がんばり」は、あなた以外の他の人ができるもので
あったとしても、経済的に報われることが多かった。
 
 
また、インターネットが普及していなかった頃は、
 
「町のもの知りさん」
 
「仲間内の知識人」
 
とかの知識は重要だったし、
井戸端会議などの口づての情報交流も大切だった。
 
 
テレビや出版などがメディアを寡占してきたというのはあったけれど、
その分、音楽や情報にお金を支払うという体制は
保たれてきたわけだ。
 
 
 
でも、その大前提が、今は全部崩れているので、
今までの「がんばり」は、大して役に立たない。
 
 
イヤな事でがんばったとしても、
それはいつ他の人やロボットに、とって代わられるかわからない。
 
 
仮にがんばったとしても、飛び抜けた成果じゃない限り
税金などで、手元にはほとんど残らない。
 
 
知恵はともかく、単なる知識はインターネットを見た方が早い。
 
 
 
なので、
 
 
今までの「がんばり」。。。というか、
 
 
「イヤなことでも、がんばっていれば報われる」
 
 
というのは、前時代のファンタジーになりつつあるわけだ。
 
 
 
 
 
それだったら、
 
「イヤなことでも、がんばって、報われる」
 
という資本主義のファンタジーを卒業して
新しい価値観に生きる、というのは、
素敵な選択の一つであるようにも思う。
 
 
「好きなことをして、報われる」
 
という、新しいファンタジーだ。
 
 
 
ただ、資本主義時代でも
 
「がんばって、報われる」
 
というのは、ファンタジーだったわけで、
(主に金銭的に)恵まれたのは、一部の人間でしかない。
 
 
 
ので、
 
「好きなことをして、報われる」
 
というのも、その「好きなこと」のクォリティが
時代にマッチしていないと、報われることはない。
 
 
まぁ、何をもって「報われる」かは分からんし、人それぞれ。
 
 
また、たとえ報われなくても、好きなことをしているのだから
良いのかもしれないけれど。
 
 
 
 
 
たぶん、
 
 
これから、好きなことをして花が開く人は
どんどんと増えてゆくだろう。
 
 
逆に、
 
「こんなにがんばっているのに!」
 
と歯ぎしりをしながら、時代に取り残されてゆく人も
出て来ることになる。
 
 
 
でも、だからといって、
好きなことをしている人全員が
 
「わぁ、ハッピー」
 
とは、ならない。
 
 
 
 
戦いの時代から経済の時代になった時に
 
 
「戦わなくて、いいんだよ」
 
 
「これからは、好きな仕事について、そこでがんばればいい。
 それでお金を手に入れられる時代なんだ」
 
 
と言われて、
 
 
戦いの上手だった人は落ちぶれて、
 
商才に長けた人が伸びて行ったのと同じように。
 
 
 
 
「がんばらなくて、いいんだよ」
 
「これからは、好きなことをやって、それを伸ばせばいい」
 
 
と言われて、
 
 
ただがんばってお金を稼いできた人は落ちぶれて、
 
自分の「好き」を明確に知り、そこで才能を開花出来る人が伸びる。
 
 
 
そしてそれは、全員ではない。
 
 
 
 
そんな、ある意味残酷さもあるメッセージなのかな?
なんて思ったりもする。
 
 
 
私たちが生きている間に、資本主義は終わる。
(個人的妄想だけど)
 
 
封建社会とか、独裁主義とか、共産主義、民主主義とか
それのどれとも違う、新しい社会体制が
なんとなく出来てゆくように思う
(個人的妄想ね)
 
 
 
なので、
 
あとどれくらい今の体制が続くか分からないけれど
今、この時代の変換期に
 
 
「がんばらなくていいんだとしたら、
 私は、何が好きなんだろう?」
 
 
「私にとって“報われる”とはどんなことで、
 自分の幸せとは、何なのだろう?」
 
 
というのは、知っておく(というか、体感しておく)と
いいように思う。
 
 
 
 
 
がんばりは、これから無駄になる。
 
 
 
努力は大切かもしれないけれど、
イヤなことをがんばっても、徒労に終わる。
 
 
 
なぜなら、あなたが「イヤ」と思っていることが
好きで好きでたまらない人に
活躍の場も、報酬も100%奪われるから。
 
(報酬、ってのは、お金だけじゃなくてね)
 
 
 
 
職業選択の自由がファンタジーだった時代から
今は職業選択は当たり前になっている。
 
 
だとしたら、「育ての親 選択の自由」とかも
これから当たり前になる可能性だってある。
 
 
 
 
だから、
 
「そんな程度のがんばりで、
 お金持ちになろうとしているの?」
 
と、旧時代に言われたように
  
 
 
 
「は?その程度の“好き”で、
 幸せになろうとしているの?」
 
と言われる可能性もある。
 
 
 
 
努力よりも、才能。
 
 
 
才能が人生の99%を決める。
 
 
 
そんな時代が来るのかもしれない。
 
 
 
だとしたら、
 
 
自分の才能は、どこにあるのかを知っておくことは、
もはや最大の課題とも言えるのかもしれないよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
さてさて。
 
 
「がんばらなくて、いいんだよ」
 
 
を咀嚼、妄想していったら、こんな記事になりました(笑)
 
 
 
たぶん、
 
 
「ああ、がんばるのに疲れた。
 だから、がんばらないでいい、
 と言ってくれる人の話を聞こう」
 
 
ってレベルの話じゃなくて、
資本主義の崩壊から、才能がないと生きられない時代の話にまで
つながっているように感じる。
 
 
 
ま、全部妄想だけど(笑)
 
 
 
ってなわけで、
 
 
あなたの才能は、どこにありますか?
 
 
ではでは。

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