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それは義務じゃない。権利だ。

私のまわりには、本当にバラエティ豊かな人がいる。
 
 
そして、その中には、過去(もしくは現在においても)
相当苦労されている人も多い。
 
 
 
 
 
多額の借金を背負い、完済した人。
 
 
 
事業は上手く行っている状態でも
黒字倒産しそうになってア●ムにかけこんだ
経験のある人。
 
 
 
伝統ある会社のピンチを救おうと
一生懸命頑張る人。
 
 
 
うつ状態から立ち直った人。
立ち直ろうとしている人。
 
 
 
多くの人から誤解を受けながらも、
自分の出来ることをコツコツと頑張る人。
 
 
 
もっともっと、たくさんいる。
 
例としてでも、ここに書けないような人もいる。
 
 
 
 
 
 
 
今、表面上は
 
 
「成功者ですね!」
 
「活躍していますね!!」
 
「輝いていて、羨ましい」
 
 
と言われる人であればあるほと、
その過去(あるいは現在)に、濃い影を持っている人が
多いように思われる。
 
 
 
 
 
 
そして、
 
 
どうも最終的に自分の欲しいものを得る人は、
思考回路のネジがおかしい(笑)
 
 
 
突飛な発想力を持っているという
意味においてもそうなんだけれど、
どうも、何かが変だ。
 
 
 
 
その中で、複数の人から聞いた
 
「おかしな思考回路」
 
のひとつがある。
 
 
 
どんな思考回路かと言うと、 
 
 
「それは義務じゃない。権利だ」
 
 
という思考回路。
 
 
 
 
 
 
たとえば、
 
 
 
何かにおいて
ずっと単純作業の努力を
しなければならないことってあるじゃない?
 
 
 
 
普通は、
 
 
「これをやらなきゃいけない」
 
 
「面倒だけれど、しなくっちゃ」
 
 
と、強制的にやらされている“義務”のように
捉えてしまう。
 
 
 
 
 
 
でも、私の友人は、おかしい。
 
 
 
何か努力しなくちゃいけない時に
 
 
「努力は義務じゃない。コストじゃない。
 努力は、権利である」
 
 
と捉える。
 
 
 
 
 
やってもやらなくてもいい。
 
 
ただ、自分がやってもいい権利があるので
その権利を行使する。
 
 
 
 
 
と言う風に
 
「自然に、心の底から」
 
思って、実行する。
 
 
(この「自然に、心の底から」っていうのが
 とっても大事だと思う。試験に出るね(笑))
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
また、例えば人間関係とかで
イヤなことがあったとする。
 
 
誤解だったり、過失だったり、
もともとウマの合わない人との時間だったり。
 
 
 
そんな時に感じる不快な気持ち。
 
 
これも普通は
 
 
「あー、イヤだイヤだ。
 早くこんな場を去りたい」
 
 
とか、
 
 
「もう、こんな気持ちにさせられるなんて
 最悪だわ」
 
 
と、自分とは関係のないところで
強制的に起きてしまった出来事だと捉える事が多い。
 
 
 
 
 
 
 
でも、また別の友人はこう言う。
 
 
「不快感って、感じるかどうかを自分で決められる
 権利ですね。ギフトですね」
 
 
 
 
 
 
 
 

おい。
 
 
  
 
 
おかしくね?
 
 
お前、おかしくね?
 
 
 
と、思わず体温計を取り出して
冷えピタシートを頭に貼りたくなるのだが、
友人は真顔でこんなことを言ったりする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もう、
 
 
「解釈によってポジティブになる」
 
 
とか、
 
 
「とにかくプラス思考!」
 
 
とか、そういうレベルではない。
 
 
 
 
 
もう、心の底から疑うことなく
 
 
「それは義務じゃない。権利だ」
 
 
と思っている。
 
 
  
 
たしかに、何でも権利と言えば権利だ。
 
 
 
我々は、どんなことも出来る。
 
 
そして、どんなことも、やらなくてもいい。
 
 
 
もちろん、その結果起きることに対しては
責任を負う事になるんだけれどね。
 
 
 
 
 
 
 
たとえば、
 
 
「税金を払う」という、スーパー義務チックなことも
 
 
「払わない」という選択ができるか?できないか?というと?
 
 
 
 
できる。
 
 
 
ただ、日本国にいる限りは
納税しないと罰せられるという結果を招くけれど、
「払わない」という選択も、出来なくはない。
 
 
 
 
納税ですらそうなんだから、
 
 
普段我々が直面する事に関しては
もっと自由度が高い。
 
 
 
今、あなたが努力していることを
やめることはできる?できない?
 
 
たぶん、ほとんどのものが出来る。
 
 
 
それがダイエットでも、
 
お金を稼ぐことでも、
 
子育てであっても、
 
 
努力を放棄することは、出来なくはない。
 
 
 
 
 
また、
 
 
不快な事があった時、それを感じないと決めることは?
 
 
難しいかとは思うけれど、
誰かに「不快を感じ続けなさい」
と強制されているわけではないので、
 
ホント自分次第だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「それは義務じゃない。権利だ」
 
 
 
そんな風に考える事で、
ふわりと心を軽くしてから、
 
やることをやっても、いいのかもしれないよね。
 
 
 
 
と言うわけで、私は
 
「自由に何かを書く」
 
という素晴らしい「権利」を
今日も行使させてもらいました。
 
 
ありがとう。
 
 
ではでは。
 

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