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やさしさの育て方

いやー、しばらく記事を書いていなくてスミマセン。
 
 
「イグゼロさん、大丈夫ですか!?」
 
「何かあったんですか?」
 
 
という問い合わせが殺到。。。!
 
するかと思いきや、1通もそのようなメッセージは
届くことはありませんでした。
 
これも、人徳のなせる技だなー、と
一周まわって感謝するしだいです(笑)
 
 
 
 
さてさて。
 
 
よくある街角アンケートを見るまでもなく、
 
 
「やさしい人」
 
 
というのは、誰もが好意を持つよね?
 
 
で、
 
できれば自分も人にやさしくありたいし、
やさしい人だと思われたいと願ったりもする。
 
 
 
でも、実際には、なかなか人にやさしくできなかったり
ついつい自分の感情にふりまわされてしまったりもしちゃうわけだ。
 
 
 
できればやさしくありたい。
 
でもうまくできない。
 
 
 
じゃあ、どうやったら
 
昨日よりも今日、今日よりも明日やさしくなれるんか?
 
やさしさは、筋トレみたいに鍛えたり育てたりできるんか?
 
 
そんなことを考えてみたんだよね。
 
 
 
 
そして、現時点では
 
 
「ああ、これがたぶん、
 やさしさを育てることにつながるな」
 
 
と思ったことがあったので、
今回はそれをシェアしようと思う。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
 
あまりもったいぶらずに結論を先に言っちゃうと。
 
 
 
「とにかく、いろんなことに期待する」
 
 
 
というのが、効果があるように思う。
 
 
 
基本的に、
 
 
「喜び・幸福」というのは、意識的か無意識なのかは別として
 
「期待と同等か、それ以上の状態」
 
 
だと思っている。
 
 
そして、
 
「悲しみ・不幸」というのは、
 
「期待未満の状態」
 
なんじゃないかな?なんて思う。
 
 
 
つまり、
 
「こうなったらいいな☆」
 
と期待していることが叶ったら、それは喜びを生み出す。
 
 
期待していること、たとえばそれが
 
「昼にごはんが食べられる」
 
とか、
 
「いつも会っている人に会える」
 
といった些細なことでも、それが叶っている時は
少なくとも悲しみや不幸は感じない。
 
 
 
ただ、
 
自分が「こうなったらいいな」「こうあるべきだよな」
という期待に、現実がともなわない場合は
悲しみや不幸を感じるように思う。
 
 
もちろん、喜びと悲しみが混じり合うこともあるだろう。
 
 
「昼にごはんが食べられたけれど、
 食べたいメニューは品切れになってしまっていた」
 
 
とか、
 
 
「会いたい人には会えているけれど、
 その人が私の期待に100%は応えていない」
 
 
とかね。
 
 
 
 
なので。
 
 
幸福も、不幸も、普段も、
自分の「期待」ありきで決まる、ということだと思う。
 
 
セレブな人は、朝からフルーツが選び放題じゃないと
不幸を感じるかもしれないし、
 
砂漠に放り出された時には、
たった一杯の砂まじりの水で
最高の幸福感と喜びを感じるかもしれない。
 
 
 
意識・無意識を分けず、「今の自分の期待」が
幸福と不幸を決めている、と思っているんだけれど
いかがでしょう?
 
 
 
 
 
で、だ。
 
 
今回のメインテーマである
 
「やさしさの育て方」
 
なんだけれど、
やっぱり多くの悲しみを知っている人や、
喜びを知っている人が人にやさしく出来ると思う。
 
 
そして、さっきから書いているように
「喜び・幸福」と「悲しみ・不幸」は
「期待」と密接につながっている、と私は考える。
 
 
 
だから、
 
「たくさんの期待を経験した方が
 人に同調し、やさしくもできる」
 
と考えるんだよね。
 
 
 
 
 
ミスチルの歌詞に
 
 
「希望の数だけ失望は増える
 それでも明日に胸は震える」
 
「出会いの数だけ別れは増える
 それでも希望に胸は震える」
 
「今以上をいつも欲しがるくせに
 変わらない愛を求め歌う」
 
 
ってのがあるんだけれど
 
(ちなみに『くるみ』という歌。
 PVも含めて、大好きな歌です)
 
 
 
いろいろ希望を持ったり、人に出会ったりする分
期待は増えてしまう。
 
 
でも、自分が抱いてしまった期待が叶う事もあれば
そうでないこともある。
 
 
そして、希望の数だけ、どうしても失望は増える。
 
期待したことすべてが叶う、なんてことは
現実では難しいからね。
 
 
 
でも、
 
 
間違いなく言えるのは、
 
多くの希望と失望を知っている人は
それだけ多くの人の希望と失望に共感できる、
 
ということだと考える。
 
 
 
人は基本、自分が経験したことと、
そこからの延長の想像でしか人と付き合えない。
 
だから、多くの希望をかなえた人は
人が何を期待するのかも体験しているし、
その時の喜びにも共感できる。
 
 
そして、多くの失望を体験した人は、
人の悲しみを理解することができて、
その悲しみを心で感じることができる。
 
 
 
もちろん、それにプラス
 
「自分以外の人にフォーカスする」
 
という意識がなければ
 
 
「フンっ!あなたは幸せでいいわねっ!」
 
とか、
 
「ヒヒヒ、他人の不幸は蜜の味。。。」
 
 
みたいな人格にもなるかもしれないけれど(笑)
 
 
 
 
それにしても、
 
「喜びとは、こういうこと」
 
「悲しみとは、こういうこと」
 
というのを、肌で知っていなければ、
共感しようにも、できないんじゃないかな?なんて思う。
 
 
 
 
 
だから。
 
 
 
生まれてきた以上は、いろんなことに期待しちゃって
いいんじゃないかな?と思う。
 
 
 
希望の数だけ失望は増える。
 
 
でも、人は自分が思い描いた未来以上の
未来を手に入れることはできない。
 
 
長い目で見れば、期待以上の未来は
手に入らないわけだ。
 
 
 
 
その期待が、うまく叶う時もあれば
そうでないときもある。
 
 
 
期待がうまく叶った時は、
 
「思い描いた未来を手に入れた!」
 
と喜べばいいし、
 
 
 
期待が失望に変わった時は、
 
 
「それでも、やさしさを育てることはできる」
 
 
と思えばいいんじゃないかな?
 
なんて思う次第。
 
 
 
いずれにしても、
 
期待しないで最初から諦めていた時には
手に入らないものが手に入る。
 
 
輝く未来か、やさしさか。
 
 
どっちも素晴らしい。
 
 
 
傷ついた時は、休むこともあっていいと思うけれど、
少し休んだら、また大きく期待に胸を膨らませて
 
今以上の未来か、今以上にやさしくできる自分を
迎えに行けばいいよね?
 
 
 
応援します。ずっと。
 
 
ではでは。

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