できることなら穏便に生きていきたいなと思うのだが
やはりどうしても気になる。
私の記事を読んでくれている人は
分かってくれると思うので、思い切って書くことにする。
最近、なぜだか知らないけれど、
「今までカッコつけていた私だけれど、
そんなの、もういらないんだよね」
とか、
「ずっと認めて!って頑張っていたけれど
もっと素直になることにしました」
みたいに、
「鎧を脱ぎ捨てたワタシ素敵でしょキレイでしょ」
といった発言が流行しているみたいだけれど、
どうも「それホンマ?」と感じる。
いやね。
エゴを脱ぎ捨てることは美しいし、
誰がどんな風に生きてもステキだとは思うんだよ。
実際に、自分の意思で
カッコつけることをやめた人が大半だと思うし。
ただ、ごく一部にいる、
「エゴを脱ぎ捨てたワタシを、
ほらほら見て見てぇぇぇぇー!!!!!」
ってタイプ、まだまだぜんぜん
ゴリゴリのエゴイストですやん?
単に、世の風潮や周りにいる人が
「がんばっていること」
よりも、
「エゴを脱ぎ捨てて、自然体でいること」
を是とし、カッコいいと思うようになってきたら
発言を変えているように見える人もいると
思うのだけれど、それって、うがって見すぎ?
でも、
もしそうであるのなら、
本質的に、その人は何も変わっていない。
単に、まわりのニーズに合わせて
「カッコいい、ステキなワタシ」
の見せ方を変えているだけに過ぎない。
話が少し変わるんだけれど。
以前、とあるセミナーで、
「靴のまま、椅子の上に立て!!」
みたいなことをさせるものがあった。
それは、今までの常識にとらわれない勇気を持て!
これからは、自分の意思で決断して歩んでゆくのだ!
みたいなメッセージが込められていたと記憶している。
そのセミナー自体は、
とても学びが深いものだったので、
感謝こそすれ、特に悪く言うつもりはない。
が!その瞬間の会場では
「たくさんの人が靴のまま椅子の上に立つ状況の中、
普通に座っていること」
の方が、よほど勇気がいりますやん?
みたいに思ったことがあった。
なので、私が椅子の上に立たず、ボーっとしていると、
セミナーのスタッフの方に、
「常識を脱ぎ捨てろ!」
「まわりの目を気にするな!」
みたいに鼓舞されたんだけれど、
明らかにその瞬間の会場内の「常識」は
靴のまま椅子に立つことであり、
ボーっと突っ立っていた私を椅子に立たせようとするのは
スタッフさんが、まわりの目を気にしていたように感じて、
私はそのままトイレに行くことにした。
ホント、ヒネクレててスミマセン。
(※ 繰り返しますが、
そのセミナーの内容は良いセミナーです)
で、
「エゴを脱ぎ捨てたワタシ」発言をする何人かは、
これと同じような、
「自分の意思ではなく、
まわりの賛同者によっての行動」
に見えちゃうんよね。
さてさて。
エゴを脱ぎ捨てるのは、必要。
カッコつけるのをやめることは、私には
できないので立派。
ただ、それって、本当に
今の風潮がなくても、やっているの?
不良のみなさまが
「俺たちは、大人の社会に属さねぇ!!!!!」
と言いながら、仲間同士で
コミュニティを作るのと同じように
「私は、エゴを脱ぎ去り、
カッコつけるのをやめました!」
と言うことで、称賛を浴びようとするのは、
本質からは離れてしまっているように感じてしまう。
まぁ、私は、
「ちょっとエッジの効いたことを書いて、
みんなからカッコいいと思われたい」
という、自己承認欲求のカタマリなので、
おそらく、そういう手放し系の人が
わからないんだろうなぁスミマセン。
でも。
それは、自分の意思なのか?
それとも、風潮に乗っているだけなのか?
それはどっちでもいい。
けれど、どっちなのかを自分で把握していないと、
思わぬ方向に漂流してしまうかもしれないから
お互いに気をつけたいものだよね。
ではでは(^^)/