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魅力の研ぎ方

「魅力的な人間になりたい!」
 
「中身のある人間でありたい」
 
「かっこいい人にあこがれる!」
 
 
そんな思いは、私だけでなく、
多くの人が思っていることだと思う。
 
実際に魅力のある人に触れると、
その気持ちは、さらに大きくなる。
 
 
おかげさまで、今までいろいろな方に
お会いできているけれど、その中でも
 
「魅力的だなぁ」
 
「素敵だなぁ」
 
と思う人は、男女問わずに多いので
本当にまいっちんぐである。
 
 
私が会う魅力的な人は、
 
おしゃべりな人もいるし、おとなしい人もいる。
 
喜怒哀楽が激しい人もいるし、
感情の起伏がほとんどない人もいる。
 
若い人もいれば、年配の方もいるし、
華やかな人も、そうでない人もいる。
  

ただ、
 
一人ひとりが、
何か人を魅きつける力を持っていて、
自分自身の魅力を研ぎ澄ましているように思う。
 
 
昨日も、そんな魅力的な人と一緒に
お酒を飲んでいたんだけれど、
彼との会話で、
 
「魅力のある人と、そうでもない人は
 いったいどんな違いがあるんだろうね?」
 
といった話をしていた。
 
 
彼は非常に端的に物事を
ズバッと言うタイプなんだけれど、一言
 
 
「戦場で戦っているか、
 サバイバルゲームをしているかの違いでしょ」
 
 
と、切り捨てた。
 
 
彼の言葉は辛辣だけれど、
的を得ているように思う。
 
 
つまり、
 
どれだけ、自分の人生においてリスクを請け負い、
 
「やり直しは、ない」
 
「人に任せることはできない」
 
ということを、実感値として持っているか?
 
 
あるいは逆に、心のどこかで
 
「誰かが何とかしてくれる」
 
「ダメでも、次がある」
 
と思っているかどうかの違いは、確かに大きいように思う。
 
 
 
実際問題としては、
 
誰かがなんとかしてくれることも多いし、
ダメでも、次があることのほうが多い。
 
 
人生において、やり直しが効かないということは
ほとんどないと思う。
 
 
 
ただ、
 
 
実際に事に当たっている時に
 
「ダメなら、死」
 
と思っているのと、
 
「次もあるし」
「まだ本気出していないだけ」
 
と思っているのとでは、雲泥の差があると思う。
 
 
また、
 
「人に任せることは、できない」
 
と、心から思っている人は、
誰かから助けられることが「有り」「難い」ことだと
実感しているので、自然に感謝ができる。
 
 
「誰かが、何とかしてくれる」
 
と、心のどこかで思っている時は、
自分の期待通りにならないと、
誰か他の人を責める。
 
 
なんとなく、うすぼんやりとした意識のまま
毎日を過ごしていると、誰かを批判する側に回り、
自分の命は安全なところに置いておきつつ
 
「適度な刺激」
 
を求めているようになる。
 
 
それだと、やっぱり本当の魅力というのは
研ぎ澄まされにくいんじゃないかな?
なんて思う。
 
 
 
個人的には、人はどう生きてもいいと思う。
 
 
最終的には、人が何とかしてくれることも多いし、
次のチャンスがない、ということは少ない。
 
だから、何とかしてくれないときに
人を責めるのも勝手だし、
何かに取り組んでいる最中に
次やることを算段していてもかまわないと思う。
 
 
 
 
ただ、
 
私が実際に出会っている魅力的な人は、
それぞれの「たたかいの場」で、
命を研ぎ澄まして、磨いている人が多いように思う。
 
 
そして、表面的な態度がどうであれ、
その人がどんなことを言うのであれ、
 
なぜか、
 
「どれくらい、この人は命を研いでいるのか?
 
ということは、
戦っている人の前では
見抜かれてしまっているようにも思う。
 
 
少なくとも、私は大いに見抜かれていることだろう(笑)
 
 
 
 
さてさて。
 
 
繰り返しになるけれど、
人がどんな風に生きてもいいし、
何を選んでも、批判とか称賛とか、そんなことは
どっちでもいいと思う。
 
 
ただ、
 
「たたかいの場に出ないけれど、
 勲章は欲しい」
 
「自分をすり減らして研ぐのはイヤだけど、
 切れ味のするどい人になりたい」
 
ってのは、なかなか難しいんじゃないかな?
なんて思う次第。
 
 
私自身を振り返ると、
いったいどれくらい研がれているのか?
 
もしくはナマクラなのかは、
お恥ずかしい次第なんだけれどね。
 
 
ではでは。

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