同じようなものが増えると、価値は上がる。
先日、毎度のことで飲んでいたんだけれど、
その中で非常に興味深い話を聞くことができた。
内容は、私たちが日々接することのできる
「情報量」の話だ。
情報流通量の調査・分析をまとめた
『情報流通センサス報告書』(総務省、2008年刊)によると、
我々が1年間に選択できる情報量は、10年前と比較して、
約532倍にまで膨れ上がっているんだってさ。
今は2008年よりも、さらに時代が進んでいるから
さらに加速度的に、アクセスできる情報の量は
増えているかもしれない。
そうなると、1つ1つの情報を吟味することが
出来にくくなるだろうから、
どんどん反応的に生きるようにもなってしまうんだろうね。
では、
「これだけ情報があふれているから、
もう情報には価値がない」
「もう、情報の時代は終わった」
と言い切れるか?というと、
実は、そんなことないと思うんだよね。
むしろ逆に、
「普通には手に入れられない情報」
「ネットなどでは通常公開されていない情報」
「本質的な情報」
の価値は、上昇する一方だと思うんだけれど、
どうだろう?
賛否は別として、
「お金の稼ぎ方」や「コミュニケーション術」
といった、形のない情報が、
現在は有料で販売される立派な商品になっている。
そして、
このような情報に対して、これほど多くの人が
高額の料金を支払うという時代は、
過去において存在していなかった。
情報は氾濫している。
調べようと思えば、ほとんどのことは
瞬時に調べることができる。
しかし、情報があふれればあふれるほど、
内容のある情報の価値は、
飛躍的に上昇しているわけだ。
普通に考えると、
同じようなものが増えてしまうと
それだけ選択肢が増えてしまうわけだから
ひとつひとつの価値は下がってしまうように感じる。
でも、
ちょっと考えると、真実は逆なんじゃないか?
と思えるようなことが、実はたくさんある。
例えば、いわゆる「モノ」。
産業革命以降、人類が手にする「モノ」は、
飛躍的に増えてきた。
たくさんの商品、物品の中で
自分が選べるモノは、星の数ほど増えているだろう。
じゃあ、それに対して
物品すべての価値が下がったか?というと、
全くそんなことはない。
おなじ時計でも、500円も出せば買えるものもあれば
世界最高級の時計は、2億円以上するものまである。
価値をすべてお金の金額ではかることは乱暴だけれど、
少なくとも、モノがあふれていない時には
ありえなかったような金額の時計が、現代はある、
ということだ。
もちろん産業革命以前も、例外的に王族とか貴族のまわりには、
法外な金額の物品が取引されていただろうけれど、
それはやはり、貴族のまわりにモノがあふれていたから
起こり得た現象なのは、間違いないだろう。
ほかにも、あるぜ?(ニヤリ)
昔々は、恋愛も自由にはできず、
出会える異性も、現代ほど多くなかった。
そんなとても少ない選択肢から、
自分のパートナーを選ぶことを余儀なくされていたわけだ。
そして現代。
現代は、恋愛は自由だ。
さらに、出会える数も、出会える方法も、
バラエティ豊かにあふれかえっていると言える。
見方を変えれば
「あなたの恋愛候補者は、あふれかえっている」
という言い方も、できなくはない。
じゃあ、その分、魅力的な異性の価値は下がったか?
というと、とんでもない!でしょ?
魅力的な異性は、ますます輝きを増して
「異性から見た価値」は
下がるどころか上昇している、とも言えなくもない。
情報、モノ、そして異性。
同列に扱うのは、さすがに違うかもしれないけれど、
それでも、
「同じようなものが増えると、価値が上がる」
「選択肢が増えると、その選択肢自体が
価値を引き上げてくれる」
というのは、実は真実かもしれないんだよね。
ただ、
もちろん、きちんと本質的な価値を持っていないと、
「その他大勢」に飲み込まれてしまうという事実も
否定はできないんだけれど。
なので。
もし、あなたがやっていることや
情熱を注いでいることに
競合やライバルが登場したとしても、
「ライバルが増えた!」
「私が選ばれなくなったらどうしよう!?」
と、脅威に思う必要はないと思うんだよね。
選択肢が増えれば増えるほど、
ライバルが増えれば増えるほど、
あなたは、
「わざわざ私の価値を上げに来てくれてありがとう」
「私の価値を支えてくれる人が、また増えた」
と、上から目線で感謝すればいいと思う(笑)
そして、
フォーカスをライバルに向けるのではなく、
自分の本質的価値を高める方に向ければ、
あなたの価値は、加速度的に上昇していくことになるだろう。
と、偉そうに言っている私自身が、
私の本質的価値を、もっと探求しなきゃいけないんだけれどね(笑)
ではでは。