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ありのままの自分、ってやつ

「ありのままの自分でいたい」
 
「ありのままの自分を愛されたい」
 
 
というのは、誰しも願うことのひとつだと思う。
 
 
あなたもたぶん、そうだろうし、
私だって、そうだ。
 
 
 
ただ、この「ありのまま」って言うヤツが
けっこうやっかいで、
 
 
「他の人には全く気をつかわず、
 自分の身なりや言動にも気をつかわず、
 思いつきで反応する」
 
 
っていうのが、果たして「ありのままの自分」なのか?
というと、
 
 
「そいつは違うだろう?」
 
 
と思っちゃうんだよね。
 
 
 
 
 
 
でも、「ありのままの自分」っていう事は、
変にカッコつけていたり、
自分の良い面だけを見てもらおうとするのも
これまた違うなぁ、と考えるんだよね。
 
 
 
 
 
 
じゃあ、
 
どんな状態が「ありのままの自分」なのか?
と考えた時、
 
 
 
「ああ!
 “ありのままの自分”っていうのは、
 
 “ナッシング”じゃなくて、
 “ナチュラル”な状態なんだな」
 
 
 
なんて思ったんだよね。
 
 
 
 
 
誰にも気をつかわず、
 
自分の身なりにも気をつかわず、
 
肉体的、知的、精神的にも
特にケアをすることもなく、
 
その時の思いつきで、なんとなく反応する。
 
 
 
これもたしかに「ありのままの自分」かもしれないんだけれど、
 
これは、何もない“ナッシング”な状態なんじゃないかな?
 
と思う。
 
 
 
 
 
 
そうではなくて。
 
 
 
 
 
 
「自分がこういう態度をしたら、
 相手はどう思うだろう?」
 
ということも気にかけつつ、
 
 
身なりにも最低限の気をつかい、
 
 
肉体的、知的、精神的にも
自分がやれる範囲での向上をはかり、
 
 
相手と自分自身に、思いやりの意志を持つ。
 
 
 
その上で、
 
自分の中で不自然なことを徐々に手放し、
心から力の抜けた状態になる。
 
 
 
 
こんな状態が、すてきな「ありのままの自分」であり、
“ナチュラル”な状態なんじゃないかなぁ、
と思うんだけれど、あなたはどう思うだろう?
 
 
 

 
まぁ、
 
“ナッシング”状態でも、
“ナチュラル”状態でも、
 
本人が心地いいのであれば、
とやかく言う必要はないだろう。
 
 
 
 
ただ、“ナッシング”状態で、
 
 
「なんで私はありのままの自分なのに、
 愛されないの!?」
 
 
「ありのままの自分じゃないと、
 愛されても意味がないから、
 努力するのは違うと思う」
 
 
なんて言うのは、ちょっと都合がいいような気もする。
 
 
 
 
誰だって、お互いに気持のいい人と
同じ時間と空間を共有したい。
 
 
相手に不自然なことを強要したくもないけれど、
自分が相手に振り回され続けるのも、好ましくない。
 
 
できれば、相手のことを尊重もしたいし、
自分のことも尊重してほしい。
 
 
相手の美しいところを見ていたいし、
自然な自分を美しいと思ってもらいたい。
 
 
 
 
 
 
そのためには、はじめから何もしない
 
“ナッシング”
 
な自分を、相手に認めさせようとするのではなく、
 
 
 
たくさんの気づかいの経験を踏まえたうえで
それらを手放した状態で接する
 
“ナチュラル”
 
な自分になる方がいいんじゃないかなぁ、
なんて思う次第。
 
 
 
 
相手が美しく輝いている姿を見たいし、
それが自然である方が、より輝きは増す。
 
 
 
そのためには、やっぱり最低限のがんばりは
あった方がいいのかもしれないね。
 
 
 
少なくとも、“ナッシング”な自分を
相手に認めさせるよりは、
近道なんじゃないかなぁ、と思う今日この頃。
 
 
 
 
まぁ、私自身は、どっちの「ありのままの自分」でも、
上手く行かなかったりすることもあるから、
偉そうなことは言えないんだけれどね(笑)
 
 
ではでは。
 

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