ふと振り返ると、本格的にセミナーを始めてから
17年くらいが経過していた。
マジか。。。
もう、そんなに漫談…もといセミナーしてるのか・・・
まぁ、それは積み重ねで
そこまでやれていること自体が
ありがたい話なのである。感謝。
そんな中、
ある程度、長い間セミナーしていて
信条として、
「参加者さんが号泣するようなセミナーは
しないようにする」
と、けっこう強く思っている。
いやね。
若気の至りっていうか、
セミナーをやり始めた初期のころは
「ああ、今回は全員が感動して泣いてたな…」
ということに悦に浸っていたこともある。懺悔だ。
でも、ある程度やっていたら、
セミナーとかマンツーマンという「場」と「関係性」で、
相手の核心をついて号泣させるって、できてしまう。
でもそれは、相手のためというよりは
ワタシ自身が受け取っている「報酬」に限りなく近い。
それは、「受講者さんが満足している証拠」であり、
「勲章」みたいなものだ、と気がついた。
つまり、相手ではなくワタシの
承認欲求と安心を満たしているだけに過ぎない。
だから、やめた。
考えてみれば当たり前なのだけれど、
「相手が泣くのをゴール」
としているのって、コミュニケーションとしておかしいやん?
そりゃ、相手が今まで気づかなかったことで
スーッと涙を流すようなことは、あるかもしれない。
ただ、そこを目的にしていたりするのは
少なくとも私が求めているものではない。
ましてや、号泣させるなんて、
そんなに感情をゆさぶってしまったら、
「セミナー中毒」「講師依存」にさせてしまう。
大事なのは、セミナーではなく本人の日常だ。
日常が、本人もまったく気がつかないまま
なんだか分からないけれど好転するのがいい。
そして、セミナー時間と日常時間を比べたら、
セミナー時間は1%にも満たない。
だからセミナーは、
きっかけになることはあっても
それは静かな契機であるべきだと思っている。
セミナーが終われば、講師と受講生さんの関係は
スッと離れてもいいし、そうでないのであれば
フラットな友人や仲間にシフトするのが好みだ。
だって、講師なんて「役割」に過ぎないのだから。
そういう意味では、セミナーだけじゃなく、
コーチングやカウンセリングも、
相手が、本人の内側からの変容を援けるもので、
外部刺激そのものであってはいけない、と思っている。
まぁ、これは好みの話の範疇を出ない。
ただ、少なくとも、私の場合だけかもしれないけれど、
「号泣しました!」
という人が続出していた時よりも、
「なんか…全然わかんないんですけど
まわりが変わり始めましたが?は??」
というモヤっとした感想の方をもらうようになってからの方が
受講者さんの日常は好転している。
さてさて。
もちろん、これは講師さんにもよるし、
誰かのスタイルを批判するつもりもない。
もし、イラっとした講師さんがいたらスミマセン。
ただ、私の場合は
「セミナー満足度」
よりも、
「受講者さんの日常の好転」
にフォーカスを合わせるのが好みで、
その場合は「号泣」は排除した方がよかった、
というだけの話っス。
カンフル剤と健康食の違いを
優劣で語っても仕方ないやろ?
そんな感じに受け止めてくれれば
幸いでありんす。
ではでは。