「そんなに我慢しなくていいんだよ」
「自分らしく過ごせばいいんだよ」
そんなメッセージってあるよね?
個人的には、やりたいことと我慢の間には
バランスがあると思うし、
すべての我慢をしないでいい世界はない。
とは言っても、我慢しすぎる人は
我慢をするのに慣れきってしまい、
「何が我慢なんだろう?」
と、麻痺してしまっている人もいる。
そういう人は、自分を犠牲にしすぎて
幸せをつかみにくくなるので、要注意だ。
データを詳細に取ったわけではないので
私の個人的な感想になってしまうのだが。
我慢をし過ぎている人は
平均よりもかなり体重が多いか、
極端に痩せている人が多い気がする。
なので、健康状態にも直結する話なので
自分の心と体からのメッセージを受け取った方がいいと思うよ!
さて。
では、我慢をし過ぎているのに、
本人がそれに気がついていない人の特徴を見て行こう。
1.支配的な存在が近くにいる。
2.責任を受動的に発生させる。
3.じっくり話を聴いてくれる人がいない。
これらが「普通でしょ?」という常態化をすると、
身体と思考に異変をもたらす。
どれもすべて、心がオープンになる時間が
極端に減ってゆく要因たちだ。
【1.支配的な存在が近くにいる。】
本人に対して支配的な言動をとる人が常にいる。
それに対して反抗とかができていればいいのだけれど、
その「支配者」に対して盲従せざるを得ない環境だと
心が閉ざされて麻痺してゆく。
ちなみにこの「支配者」は、分かりやすくパワハラやモラハラを
してくるケースもあるし、逆にものすごい弱者であるケースもある。
介護を必要とする人だったり、
社会的に弱く、被害者的な言動をする人も「支配者」になる。
もちろんその存在は、上司や親、子ども。友人やパートナーだったりする。
支配者を完全に排除することは難しい場合もあるが、
その人たちに「NO」を言ってもいい、と思っていないと
本人の心が滅びていくので、注意が必要だ。
自分の時間を持ったり、
できるかぎり対等に近づける努力をしてもいいと思う。
【2.責任を受動的に発生させる。】
ここは勘違いをしている人もいるのだが。
そもそも、責任は本来、主体的なものだ。
幼い時はそうじゃないこともあるが、
ある程度大人になったら、責任は自分で選ぶものになる。
「でも仕事が…」
というかもしれないけれど、その仕事を選んだのは
だいたいの場合、本人だ。
なので、もし受動的な責任しか感じないのであれば
主体的に仕事を変えてもいい。
同じような理屈でパートナーもそうだし、
親とかであっても、すでに大人同士なのだから
受動的な責任しか感じないのであれば、距離を取ってもいい。
「責任を取る」のが本人の意思ではなく、
「責任を取らされる」ことが多くなったのであれば、
それは隷属しているような人生になる。
そうなると、「社会が悪い」「政治が悪い」と
実態がよく見えない大きな存在に
責任を転嫁するようになりやすい。
主体的に責任を選べている人は、
自分が影響を及ぼせる範囲で物事を進めていくので、
変な陰謀論とかに時間を使ったりはしない。
責任は主体的なもの。
この当然のことが、うまく飲み込めないのであったら、
ちょっと我慢をやめてみていいように思う。
もちろん、できるところからでいいので。
【3.じっくり話を聴いてくれる人がいない。】
上記2つの「支配的な存在」「受動的な責任」は、
実のところ、ゆがんだ人間関係や組織状態から産み落とされる。
で、たいていの場合は
「それ、おかしくね?」
「えー!それは辛いよ!」
と言ってくれる存在がいれば、
「あれ?やっぱり私はおかしくないよね?」
と自分を見直す機会をみつけて、アジャストできる。
ただ、そういった味方が存在しないと、
「私がおかしいんだ…」
と自分を追い込むことしかできなくなるので、
これまた我慢に拍車がかかる。
こうなると、もはや外部からの洗脳に適応するために
自分が自分を洗脳しだす悪サイクルにハマってゆく。
もし友人がいないのであれば、
カウンセラーでもいいし、
ネットの掲示板でもいいので、
悩みを吐露してみるといい。
我慢のし過ぎだったら、
「それは相手が無茶だよ!」
と味方になってくれるし、
もし、我慢のし過ぎじゃないのであれば
「え?それはアナタが悪いんじゃない?」
と正論で叩きのめされるだろう(笑)
なので、できれば味方になってくれる友人に
聴いてもらう方がいいとは思う(笑)。
さてさて。
世の中で、我慢ゼロっていうことは無いだろう。
ささいなストレスは、そこをバネにがんばる契機にもなるし、
悪い事ばかりでもないと個人的には思う。
ただ、
「あれ?私って我慢してるんだっけ?」
「どれが我慢で、どれが我慢じゃないのか
考えないと分からない」
といった場合は、上記3つのポイントを振り返り、
もし極端に当てはまる場合は、
生活を見直すチャンスかもしれない。
「経済的に…」とか、
「とは言っても、あの人が…」とか、色々とあるだろう。
なので、最終的に選ぶのは、本人次第だ。
究極的には、
「どんな人生を送りたいのか?」というアクセルと、
「今を我慢するのか?」というブレーキで、
勝った方が本人の未来になる。
そりゃ、アクセルを吹かしたらリスクも伴う。
だから「主体的な責任」が必要になるわけなので。
ワタシ自身も、そんなに偉そうなことは言えないかもだけれど、
あなたの未来は、あなたが正解にしていくものなので。
お互い、がんばろーぜ!
ではでは。