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いつまでも若くいられる方法。

ずっと若々しいというのは、
多くの人の望みだと思う。
 
ここで言う若々しさというのは、
肉体的・外見的なことはもちろん含まれる。
 
ただ、それ以外にも、
年齢を重ねても好奇心旺盛だったり、
人間関係が柔軟だったり、
夢を描いたりできることも入っている。
 
 
じゃあ、そんな「若い」人って、
どんな共通点があるのだろう?
 
もちろん、色々な要素が絡み合っていると思うが、
かなり大きな要因として
 
「人の目を気にしている」
 
というのがあると思う。
 
 
いや、今の風潮としては、
「人の目を気にせず、自分らしく!」
みたいなことが、持てはやされているのは知っている。
 
そして、それ自体が言わんとしていることも分かる。
 
ただ、本当に文字通りに「人の目を気にしない」となったら、
若さというものは失われやすい。
 
 
外見的に言えば、
髪はボサボサのままになるだろうし、
服装だってヨレヨレだ。
 
女性はお化粧しなくなるだろうし、
男は風呂の回数が減る人も多いだろう。
 
食事制限もしないし、
筋トレしていたのに、やめる人も出てくる。
 
「人の目を気にする」というのは、
ある意味においては、かなり重要なのだ。
 
 
また、外見だけじゃない。
 
文字通りの意味で人の目を気にしなければ、
暑かったら全裸になるし、眠かったら道路で寝る。
 
言葉遣いも気をつけないし、
仕事も手を抜きかねない。
 
よほどストイックじゃなければ、
努力するエネルギーもパワーダウンする。
 
 
 
だから、「人の目を気にする」は、とても大切だ。
 
人間関係は、人の目を気にしてこそ良好になる。
 
仕事も、人が関わらないものはほとんどない。
 
運も、人が運んできてくれる。
 
どんな時間を、そして人生を過ごせるかは
自分を見てくれている人によって大きく変わってくる。
 
人を目を気にして生きることは
人生の質と密度を一変させる。
 
そして、人生の質が高く、密度が濃い人は
いつまでも若々しいのが現実だ。
 
 
ただし。
 
この「人をの目を気にする」というは、
大きく勘違いをしやすいことでもある。
 
 
人の目を気にする生き方には、
実のところ、2種類ある。
 
間違った方を選ぶと、とても痛い人になる。
 
正しい方を選ぶと、いつまでもエネルギッシュだ。
 
 
じゃあ、その2種類というのは、どんな違いなのか?
 
 
それは、
 
人の「評価」を気にする生き方と、
人の「期待」を気にする生き方だ。
 
 
これは難しいのだが、全然違う。
 
 
「評価されたい!」という形で人の目を気にすると、
当たり前だが人の目に左右される。
 
受動的で、軸がない。人の目の奴隷だ。
 
 
対して「期待に応えたい」は違う。
 
同じように人の目を気にしてはいるのだが、
主導権はあくまで自分だ。
 
主体的で、軸がある。人の目に希望を照らす光だ。
 
 
受動的なのが完全にダメ、とは言わないが、
根っこに自分の選択がある方がいいだろう。
 
 
ニュアンスが難しいのだが、たとえば、
 
「あー、この芸能人、評価されたいんだな」
 
という方と、
 
「この芸能人は、自分に寄せられている期待に
 応えようとしてくれているんだな」
 
というのは、なんとなく分からないだろうか?
 
芸能人じゃなくても、もちろんいいのだけれど。
 
 
「評価されたい!」は、人の目を追っていて、
「期待に応えたい」は、人の目を先導している。
 
そんなイメージ。

 
「評価」を追うと、なぜか痛々しくなり、
「期待」を背負うと、若々しくなる。
 
病も気からなのだから、
若さもそういった気概からなのだろう。
 
 
 
さてさて。
 
 
前半で
「人の目を気にせず、自分らしく!」
とも書いたが、実のところ期待を背負っている場合、
 
「人の目も気にして、かつ自分らしく」
 
生きているということが分かってくる。
全然、矛盾しないのだ。
 
 
よく言われている「人の目を気にしない」は、
人の「評価」を気にしているのであって、
「期待」にまで思考が巡っていない。
 
評価を追う姿は、エゴの含有率が高く、
期待を負う姿は、愛の含有率が高いのかもしれない。
 
 
実のところ「人からの期待」なんてものは、
個人の思い込みで、幻想かもしれない。
 
だとしても、その思い込みから
他の人に価値ある何かを提供できるのであれば
それこそいい人生じゃね?と思う。
 
 
なかなか、その塩梅は難しい所だと思うけれど、
言わんとしていることが伝わってくれれば幸いですわ。
 
ではでは。
 

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