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超一流の境地。

もう9月に入ってしまったが、
「怪談」といえば、誰を思い出すだろう?
 
多くの人が、稲川淳二さんを
思い出すのではないだろうか?
 
もともとは「いじられ役」のお笑い芸人さんだったけど、
今は芸を磨かれて、正真正銘の「芸能」の方だよね。
 
 
さて、じゃあ、なんで稲川淳二さんの怪談は怖いのか?
いろんな見方があるだろうけれど、ひとつ言えるのは
 
「話している本人が怖がってる」
 
というのがあると思う。
 
もう少し突っ込んで言うと、
 
「怖がらせようとしていない」
 
だと思うのだけれど、いかがだろうか?
 
 
それとは別の話になるのだけれど。
 
以前、マイケルジャクソンさんと
もう一人の美女ダンサーさんが躍っている映像を
見たことがあるのだけれど、その時も感じた。
 
美女ダンサーさんは、
「見ている人を魅了しようとしていた」のだけれど、
マイケルジャクソンさんは、
「ただ踊っていた」んだよね。
 
 
文章だと伝わりにくいと思うのだけれど、
 
「○○させよう」
 
という気持ちが漏れるのを感じてしまうと、
人は「それ」に没頭できなくなる。
 
 
おそらくお笑い芸人さんとかも、
 
「笑われる」のは二流で、
「笑わせる」のは一流。
 
で、おそらく
「ただ話してる」だけなのに
人を笑わせてしまう境地に行くと、超一流なのだろう。
 
 
何かを売るにつけても、
 
「買ってもらう」は二流で、
「買わせる」は一流(?)。
 
そして、商品について愛情をこめて
伝えているだけで売れてしまうのが、
超一流のように思う。
 
 
異性間でも、
 
「好きな人を追いかける」
「自分を好きにさせる」
「いるだけで、相手が好きになってしまう」
 
という感じで、質が違うのかもしれない。
 
 
他にも、
 
「入会、入信させる」とか、
「理解させる」とか、
「尊敬させる」とか、
「美人イケメンだと思わせる」とか、
「優秀だと思わせる」とか、
「美味しいと言わせる」とか、
「感動させる」とか、
色々なシチュエーションがあるのだろうね。
 
 
 
そして。
 
おそらくそれらは全て
 
「エゴの含有率」
 
が関わっていて、超一流であればあるほど
エゴが削ぎ落されてゆくのだろう。
 
 
もちろん、結果として
 
「感動」「尊敬」「購入」「好意」
 
といった、発信者が目指している「成果」には
結びつけるのだけれど、
そこにエゴが含まれていなければいないほど、
受信者はそこに魅せられるのだろう。
 
相手から感じるエゴほど、
魂に響きにくいものはないから。
 
 
 
さてさて。
 
 
私なんかは
 
「エゴのパイ包み焼き」
 
くらい内側にエゴがつまっていて、
外はカリっと、中はエゴエゴな人なので、
そんな人に何も言われたくないだろうけれど。
 
 
「目指しつつ、エゴを剥ぎ取る」
 
 
ということが、
おそらく全ての「芸」、あるいは
「道」の本質なんだろうね。
 
 
自分がどこまで行っているかを鑑みながら、
コツコツやっていきたいと思います。
 
 
ではでは。
 

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