最近見たネット広告の中に、
「それは糖の摂りすぎかも!?」
みたいのがあってさ。
「たしかに、糖分とか摂りすぎちゃうよなー」
と思って続きを読んでみたら、
「そこでこのサプリ!」
みたいなお勧めだったんだよね。
まぁ、それも分かるっちゃー分かるんだけど、
思わず、
「いや、糖分やめろよ!さらに足すんかいっ!?」
って、画面越しにツッコミを入れちゃったよね。
たしかにそれで助かる人もいるのだろう。
また、何かを売るっていうことは
たいていの場合は、お客さまに
何かを「足さ」ないと商売にならない。
それが有形のモノであれ、無形のノウハウであれ、
お金を得るということは、相手に何かをプラスオンすることだ。
だから商売上は分かるんだけれど、
「糖分の摂りすぎだから、このサプリを足しましょう」
というのは、本質的ではないように思うのだけれど、
どうだろう?
こういうのって、けっこう世の中に
はびこっていてさ。
「稼げないなら、この100万円起業塾へ!」
「いや、まず無料で得られる知識で稼げよ!」
「眠れないあなたに、この睡眠薬!」
「まずヘトヘトになってから試そ?」
「今ならなんと、こんなオマケがついてます!」
「むしろオマケの方が多くね?」
「PDF500ページの情報量!」
「一枚にまとめてくれ」
「大豆成分100%の高級プロテイン!」
「きなこじゃね?」
「プリン体ゼロ!アルコールゼロ!風味ゼロ!」
「水じゃね?」
とか、いろいろとある。
まぁね。
ものすごくリアルな現実をぶちまければ、
社会はお金で回ってる。
で、私たちにお金を出させようとする人は、
私たちに何かを「足そう」としてくる。
モノ、ノウハウ、儲け話、ダイエット、
出会い、安全、肩書き、権威、幻想…
理由はシンプルで、そうじゃないと
誰もお金なんか出さないからだ。
おっと、私だってお仕事をしている時は
必要であろう人に「足そう」とする。
というか、良心的な人であればあるほど
「奪おう」とするのではなく「足そう」とする。
だから、それ自体が悪いなんて
言いたいわけじゃない。
ただ、個人として立ち止まってみて。
「そこは、足し算じゃなくて、引き算じゃね?」
と振り返れることがあったら、そうしよう。
そうじゃないと、
資本主義という名のモンスターの餌食になって
あなたじゃないものにされてしまうから。
かのブルース・リー氏も言っていた。
「日々何かを増やすより、
日々何かを減らすことが重要だ。
本質的でないものはそぎ落とせ。」
と。
削ぎ落す勇気が大切。勇気爆発だ。
ライティングだって、
1つの文章に1メッセージがベストだ。
写真も、主役を引き立たせるために
無駄になるものや背景は除いていくそうだ。
究極の氣功は、立っているだけだ。
本当に美味しい食材には
凝ったソースなんていらない。
ゴチャゴチャ言うよりも
「好き」だけの方が伝わる。
そうだろ?
さてさて。
私たちはボーっと過ごしていると、
いつのまにか「足されて」ゆく時代に生きている。
情報もそうだし、モノもそうだし、
人間関係だってそうだ。
他の人が、悪意でなく善意で
よってたかって足してくる。
だから、
自分の中で必要ないものを削ぎ落とせるのは
自分だけだ。
いらないなら「NO」と言う勇気。
必要ないなら削ぎ落としてゆく勇気。
人間関係ですら、あるいはお金ですら
自分が自分でなくなるのなら、手離していい。
たくさんの人に囲まれている人は、絶対に幸せか?
「人間関係肥満」かもしれないぜ?
その人のキャパ以上のお金がある人は
金満病で身を滅ぼすぜ?
もちろん、そうであることを望むのなら
それでいいと思う。
こう書きながらも、
私だって今日も何かを足してゆく。
ただその上で、
「削いだ方が自分のためにいいこと」
を考えてみるのもいいかもしれないよね。
ではでは。