ここしばらく、生年月日占いとかを学び、
色々と人生観にも影響を受けている。
その中で、つくづく、
「あぁ、人生ってマリオカートだな」
と、しみじみ思う。
え?あ、そうそう、マリオカート。
マリオのキャラクターで車のレースをする、
あのマリオカートだ。マリカーだ。
「え?どのマリオカート?
初代?64?デラックス?ワールド?」
とか、そういう話ではない。
ザックリとマリオカートだ。
マリオカートには、大きく4つの要素がある。
それは、
・選択キャラクター&カート
・コース
・競争相手
・カートを操るプレイヤー
だ。
キャラクターやカートによって、
扱いやすい、扱いづらい、
スピードが出やすい、コーナーリングしやすい等
様々な特性が出る。
走るコースも、シンプルな楕円だけのコースだったり、
とんでもなくアクロバティックなコースもある。
もちろん、一緒にプレイする相手によって
平和に楽しめたり、デッドorアライブになったりする。
そして、当たり前だが
プレイヤーの技量こそが最終的にはモノを言う。
で、だ。
個人的には、キャラクターとカートは、
生まれる前に決められた(あるいは自ら決めた)
「生まれた家」と「生年月日」だと感じるんだよね。
そして、そのキャラクターとカートは
今世では変更することはできない。
一度ゲームが開始されたら、
それらが変更できないのと同じように。
なので、
めっちゃ安定しているし、
立ちまわりやすい「キャラクター」で、
かつコーナーリングもしやすい「カート」で
人生を走れる人もいるし、
逆に、なかなかスピードも出ないし、
トップスピードになったら、高度なテクニックなしでは
コーナーリングしにくいという「キャラ」、「カート」の人もいる。
それはもう、「決めて」人生というゲームを始めてしまったのだから
気に入らないからと言って途中で変えることはできない。
ただ。
走るコース=生きる環境
それと、
競争相手=一緒にいる人
は、途中でいくらでも変えることができる。
また、同じコースであっても、
めっちゃヘアピンカーブの途中の人もいれば、
道が無くなって空中に浮いている人もいれば、
平坦な直線の人もいる。
それがその人のライフサイクルに現れるのだろう。
そして、一緒にいる人によって、
平和な「共競」になる展開もあれば、
邪魔をし合う「狂競」にもなる。
みんなで楽しむことを第一にし、
誰が一位になっても祝福し合える仲間もいれば、
足を引っ張り合って自分だけが勝つことを目的ともできる。
そしてそのコースと競争相手は、
本人がその気にさえなれば、いつでも変更できる。
その上で。
最も大事なのは「カートを操るプレイヤー」。
つまり、その人が人生と向き合う「在り方」なのだろう。
どんなにしょぼいキャラクターでも、
どんなにアンバランスなカートでも、
プレイヤーによっては最速になる。
そんな在り方でいられるプレイヤーは、
超絶難しいコースであっても、
ライバルたちがギラギラしていても、
それを楽しむことだってできる。
誕生日占いを学ぶことによって、
「ああ、この人は、めちゃ上級者向けの
カートを選んだな」
という人や、
「安定したマシンだな」
ということは分かる(ように思っている)。
ただ、それで分かるのは、人生の4分の1以下だ。
その人が、どんなコース(環境)を選んでいるのか?
その人がどんな競争相手(一緒にいる人)を選んでいるのか?
そして何より、その人がどんなプレイヤー(在り方)なのか?
それによって、人生という名のゲームは、
面白くも、退屈にも、過酷にも、幸せにもなる。
キノピオでシンプルな楕円のコースを一人で走る人生もいい。
クッパでレインボーロードを
たくさんの人たちと激走する人生だっていい。
何より大事なのは、
「与えられた(あるいは生まれる前に自分で選んだ)
キャラやマシンを駆使して、どれだけ人生を
自分の望むように楽しむか?」
だ。
とんでもない超絶テクニックを持っている人が、
キノピオで楕円コースなんて、退屈じゃん?
だからきっと、生まれた家や占い鑑定結果が
とんでもない人は、きっと
「このキャラ、このカートでゲームを楽しんでやる!」
って、生まれる前に選択してきたんだよ。たぶん。
(ちなみに、ワタシの生年月日カートは
とんでもなくアンバランスです。笑)
途中でコースをリタイアしたっていいし、
疲れたら少し休んだっていい。
ただ、人生というマリオカートそのものを
放棄することは、しなくていいんじゃないかな?
さてさて。
あなたのキャラやカートは、もう決まっているかもしれない。
私だってそうかもしれない。
でも、それで決まるのは、たったの25%。
どんな環境で、どんな人たちと、どんな在り方で。
あなたは、どう人生を楽しみますか?
ではでは。
