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あり方よりも大切なこと。

自己啓発的なメッセージで、よく
「あり方が大切」
みたいなことが言われる。
 
個人的には本当にそうだと思うし、
人生は「なるようになる」のではなく、
「(自分が)あるようになる、なってゆく」
とも実感しているので、歯向かうつもりもない。
 
 
極論すれば、できるかどうかは置いておいて、
人生の最強の秘訣は、究極的には
 
「なりたいように、在れ」
 
に尽きるとも思っているから。
 
 
そして、
 
現実を動かすためには
「在り方」だけでも片手落ちで、
そこには「やり方」も必要になってくる、
という意見にも賛成だ。
 
この現実世界に生きていくためには、
生き抜くための生活能力も必要だし、
お金もかかる。
 
また、人とのコミュニケーションなども
「やり方」を知っていた方が
スムーズである場合も多い。
 
 
なので、
 
「在り方とやり方の両輪が大切」
 
といったメッセージも、間違っているとは
少しも思っていない。
 
 
 
その上で。
 
「在り方」という言葉に、どこか理想論者的な、
いい子ちゃん的な響きもあるなぁ、とも感じている。
 
 
大きな声では言えないが、
「在り方が大切」というメッセージを
前面に押し出している自己啓発講演者に
 
「本当にこの人は、在り方が素晴らしい方だ」
 
と思った事がない。スミマセン。
 
 
まぁ、
「在り方が大事、と声高に言っちゃうその人の在り方」
に美しさを感じないので、
それはワタシの在り方の問題なんだろうけどねェ。
 
 
そう。
 
「在り方」という言葉には、どこかで「べき」という
見えない圧が感じられる。
 
それは、受け取る側に押し付けを与えるし、
発信する側も、その時点で自分の本来性と
少しだけ離れる。
(発信しなければ、そういうワケでもないのだが)
 
 
「在り方」は、
 
・人として正しく、誠実に
・感謝をもって
・社会が定めた善性に従って
 
というニュアンスを持つように感じる。
 
それはそれで正しい。
 
ただ、それよりも前にある「あるもの」を
置いてきぼりにすると、
自己啓発をインプットされたセルロイド人形みたいな
人格が出来上がってしまうようにも感じる。
 
背中で語る在り方はサラリとカッコいいが、
口で語る在り方はベトリとキモチわるい。
 
 
なので。
 
「在り方」は、「結果として滲むもの」
くらいに捉えておいて、
毎日の自分に大切なのは、
 
「足り方」
 
なのではないかな?と思う。
 
 
どのように生きたら、自分は満ち足りていられるのか?
 
自分の本来性とは何か?
 
誰がどう言おうと、自分が穏やかにいられる生き方は?
 
 
「どうやるか?」も大事。
「どう在るか?」も大事。
 
ただ、その間に
「どう足るか?」が抜け落ちてしまうと、
どちらも機能しなくなるように思う。
 
「自分はどう足るか?」がない「やり方」は、
誰かが決めた物的金銭的なリッチに翻弄される。
 
また「どう足るか?」がない「在り方」は、
裏では欲求不満を抱えている、
借りものメッセージの承認モンスターになりかねない。
 
 
そうではなく。
 
自分の本来性、という所にフォーカスすれば、
何が、どれくらいまで必要なのかが分かる。
 
そうすれば、自分を満たすための「やり方」を
頑張ることなく、自然に引き寄せられるようになる。
 
そして、自分が満たされれば、
他者に自然にやさしくなれる「在り方」が
湧き出て、滲んでくるようになる。
 
 
結局、それで「あるようになり」、
「なりたいようにあれる」自然体でいられるようになるわけだ。
 
 
まぁ、その「足り方」の探求こそが、
難しく、面白いところでもあるのだろうけれども。
 
 
あなたが、自分の本来性が自然に発揮できる
「足り方」に満ち溢れますように。
 
ではでは。
 

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