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分断?それとも理解?

世の中には、さまざまなカテゴリー分けってあるやん?
 
 
たとえば、男と女とか、子供と大人とか、
あるいは地域や国なんてのもある。
 
また星座とか、血液型とか、九星気学とか、動物占いとか、
エニアグラムとかエレメンツコードとか。
 
もちろん、分けられているから分かることもあり、
それぞれに意味があるのは間違いない。
 
 
ただ、その「違い」をどう受け止め、
どう扱うかによって、意味合いが大きく変わるよね?
 
 
カテゴリーが変われば、それらには当然違いがある。
 
 
それを「私たちと違うから!」と敵視し、分断するのか?
それとも「私たちと違うからこそ」と理解しようとするのか?
 
それによって、互いが歩む未来は全く変わってくるだろう。
 
 
たとえば男性と女性は違う。
肉体的にも、思考回路も精神も。
だからその違いを認識することは大切だ。
 
そして、違いを知った上で、
自分が持っていない美点を認め、
分からない部分は努力しようとし、
 
「だから、いいよね!」
 
と、愛し合えることが自然な流れであると思う。
 
 
それを、
 
「だからダメなんだ!」
「男なんて!女なんて!」
 
と、その違いにNOを突きつけると、
そこで世界は分断してしまう。
 
流れとしては、胃の内容物が喉に上がってくるような
「逆流」の違和感を感じることになってしまう。
 
 
 
これは性別に限らず、年齢もそうだろうし、
住んでいる地域や、生まれた国もそうだろう。
 
「だから子供は分かってない」「老害!老害!」
「あー、お里が知れるわ」「あの国の人たちは、、、」
 
と分断するより、違いがある中で何があるのか?に
フォーカスをできる方がいいように思う。
 
 
 
いや、分断する方が楽なんだよ。
「敵」ができて、同じ人たちが集まりやすくなるから。
 
理解しようとするのは、ゴールがないし、
いつまでも体験と思考の努力をし続けなければならない。
 
途中で「なんやねん!」と思うこともたくさん出てくる。
 
 
でも、分断を選んだ瞬間から、もはやギフトはない。
 
 
 
星座や血液型なども、相互理解のために使うのならば
それらは機能していくだろう。
 
それを「星座ハラスメント」とか「ブラッドタイプハラスメント」
みたいに ” 分断 ” で使い始めると、おかしくなる。
 
おそらくそれらを創造してきた先達は、
分断ではなく、相互理解のために研究してきたのだろうから。
 
 
 
さてさて。
 
実のところ、言葉というのは
すべからく「違い」を表すために生まれたものだ。
 
あれは太陽、あれは月。
 
私、あなた。
 
天、地。
 
あれ、それ。
 
そして、みんなに与えられた名前も。
 
 
全部が「違い」を伝えるために生まれた。
 
 
ただそれは、自分と誰かの中で
その違いを共有するために生まれたものだ。
 
分断するためなら、言葉を通して認識し合わなくていい。
誰かに「分かって!」を伝えるために、言葉はある。
 
だったら、もともとの使い方をするのが自然だろう?
 
 
区別は必要。
なんの区別も必要なかったら、言葉は
 
「あー」
 
だけで済む。
 
 
ただ、その区別の目的は、
最終的には理解に向かっている方がいいと思う。
 
 
敵を作るため、分断するためではなく、
互いの違いを理解し、尊重するため。
 
 
好き嫌いはあっていいし、みんな仲間なんて嘘だと思う。
 
ただ、どちらにより時間とエネルギーを注ぐか?は、
理解のための方がいいかなぁ、なんて思う。
 
分断にエネルギーを注ぐくらいならスルーすればいいし、
その分、理解したいことに注力したいものよ。
 
まぁ、永遠のテーマっちゃーテーマなんだけどね。
 
 
分断を煽動する情報に、だまされないようにしようぜ!
 
ではでは。
 

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