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がんばってない人はいない。

残酷な話かもしれないが、世の中には、
うまく行く人もいれば、そうじゃない人もいる。
 
お金持ちになる人、そうじゃない人。
人気者になる人、そうじゃない人。
才能を認められる人、そうじゃない人。。。
 
 
ただ、個人的は「がんばってない人」ってぇのは、
いないんじゃないかな?と思っている。
 
もちろん、生まれた時からずっと
エブリデイ24時間フルマックスかは分からんが、
その人なりに一所懸命にがんばっている、という認識だ。
 
 
ただし。
 
そのがんばりの「方向性」は、
人によって大いに異なっている、というのが真実だ。
 
 
たとえば、政治家の方で、がんばっていない人は
一人もいないと思うし、ワタシなんかと比べたら
フルパワー出している時も長いだろう、と思う。
 
その上で、そのがんばりの「方向性」は、
国民の、市民のみなさまのため、という人もいるし、
そうじゃない人もいるだろう。
 
「国家のため」といっても、その解釈によって
がんばりの方向性は変わると思うし、
「自分と、自分のまわりからの評価のため」という人も
いるかもしれない。
 
ワタシは政治家さんの立場になったことがないし、
これからも今世では、なることはない。
 
なので全然わからんが、きっとそうだろうと思う。
 
 
これはもちろん、政治家さんに限らない。
 
 
毎日をがんばっていない人は、いない。
 
ただ、それが 
 
「会社の利益のため」
 
「自分の利益のため」
 
「昼寝時間の確保のため」
 
「子どもの将来のため」
 
「子どもを自分の理想どおりにコントロールするため」
 
「筋肉をつけるため」
 
「合格するため」
 
「ドラマを見るため」
 
「課金するため」
 
「社会貢献のため」
 
「敵を叩き潰すため」
 
「いいね!をもらうため」
 
「好きな人に振り向いてもらうため」
 
など、方向性が違い、
その優先順位が人によって違っているだけだ。
 
 
で、
「見える範囲にいて、方向性にズレがある」他者を
人は批判する傾向がある、それだけだと思う。
 
 
この「見える範囲」というのは広く、
 
直接に生活を共にしたり、職場が一緒だったりする人や、
 
ニュースやネットで見知ったりする人、
 
あるいは、直接知らないけれど、なんらかの
「同じ」属性の中で、伝え聞く人、などだ。
 
 
ただ、個人的には、
方向性の違う「がんばり」をする人にフォーカスしても、
自分ががんばるべき事が進んだりはしないので
(抗争関係のフィールドに身を置く場合は別)
 
基本、スルーでいいんじゃね?と思っている。
 
 
誰かの方向性を正すことに注力するよりかは、
自分のがんばりを1マスでも動かす方が
自分自身は幸せになりやすい。
 
そんな気がしている。
 
 
 
さてさて。
 
あ、今現在、誰かにイラっとしているとか
そういう人が近くにいるとか、そういう事ではないので、
 
「え?これって私への皮肉?」
 
みたいに思わないで欲しい。
ワタシはそんなに、アナタを見ていない(笑)
 
 
その上で、人の方向性にケチをつけたら、
いつか自分の方向性にもケチをつけられるし、
 
「今は休むことをがんばろう」
 
と思っている時に、
 
「お前!もっとがんばれよ!」
 
とか言われるのもメンドクサイので、
なんとなく書いてみました。
 
 
あなたは、今、何をがんばってる?
 
それがどんな方向であろうが、
あなたがそれを望んでいるのなら、叶いますように。
 
そして、それを望んでいないのなら、
方向性だけ変えればいいと思うよ。
 
ではでは。
 

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