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AIは人をアホにするのか?

最近はChatGPTさんをはじめとする
AIさんを使っている人も増えてきたようで。
 
もちろん、ご多分にもれず、ワタシも
その中の一人なのだけれど。
 
 
その中で、
 
「AIに仕事を奪われる!」とか、
「AIを使うと頭を使わなくなる!」とか、
「AIのままにわがままに僕は君だけを傷つけない!」とか、
色々と言われている。
 
…ので、その個人的所感を。
 
結論から言えば、
「AI?まぁ、大丈夫じゃね?」
と思っているんだけれどね。
 
 
さて。
 
こういうのを考える時、ワタシは
「定規を変える」
ということをやることが多い。
 
スケール感を変えてみて考えてみるわけだ。
 
今回は「知の人類史」的な定規で見てみよう。
 
  
えーっと、いわゆる「知」において、
人類は何回も大きなシフトチェンジをしている。
 
 
口承・口伝の時代を経て、文字が発明され
それがパピルスなどの紙に記されるようになった時もある。
 
活版印刷技術などの助けもあり、宗教の力も借りて
識字率が一気に拡張した時もある。
 
図書館に、一般の人が行けるようになったり
義務教育が浸透したこともある。
 
新聞や雑誌が日常的な情報収集先として
一般化したこともある。
 
ラジオが普及し、追ってテレビが家庭に鎮座していた。
 
IT時代となり、パソコンから情報を取得し、
それが携帯電話やスマホでも可能となった。
 
そして、今はAIである。
 
 
で、
 
どの時代も共通して、
「新しい技術は、思考力を奪う!」と言われてきた。
印刷機も、ラジオもテレビもネットも。
 
それは正常な知的防衛本能だとも言えるんだけど、
実際は、印刷機の登場によって
人類の思考力が落ちたのか?
 
それは分からないけど、落ちてなくね?とは思う。
 
なので、基本的には
新しい「知のツール」であるAIも、
それほど人類に悪影響を与えるとは思えないんだよね。
 
 
 
その上で、だよ?
これまた、面白いなーと思っていることがあるんだけど。
 
 
まぁ、これはデータがある訳ではないので
正確なことは言えないのだけれど、
 
「新しい技術により、人類は思考力が奪われた」
 
こともない代わりに、
 
「新しい技術により、思考力のある人の比率が増えた」
 
ということも、どうやらないよな?
 
 
昔から「知恵者」と呼ばれる人たちはいた。
現在でも「知恵者」と目される人はいるだろう。
 
でも、おそらくその人数の比率は、
昔とそんなに変わってなくね?
 
昔から今まで、あいも変わらず
せいぜい数%くらいの人たちじゃね?
 
 
これだけ「知」のツールが発展してきているのだから、
知恵者が増えてもよさそうなものだとも思うのだが、
実際の人類は、アホな人はアホだし、
キレッキレの人は、やっぱり割合的には少数だ。
 
 
「知恵」というと、「そこにある知識をどう料理するのか?」
という、扱い方とメタ認知みたいのも含まれるので、
割合が変わらないのも、まぁ分かるのだが、
 
「博識な人」という人の割合も、
そこまで変わってなくね?とも思ったりする。
 
まぁ「博識」ではなく「薄識」は増えたかもしれんが。
 
 
なので、今までの人類を見る限りにおいては、
 
「AIが人間をダメにする」
 
ということもないし、
 
「AIによって知恵者が爆増する」
 
ということもなさそうだ。
というのが、現在のワタシの考えでござんす。
 
 
ただし。
 
人類全体の割合としては、そこまでドラスティックには
変化しないだろうが、
 
「個人」
 
においては、話が違う。
 
 
インターネットでダメになっちゃった人も、まぁいるだろう。
 
テレビでダメになっちゃった人も、まぁいるだろう。
 
「活版印刷♪かっぱんいんさつ~ぐ~るぐる♪」
と、ダメになった人は、あんまりイメージ湧かないけど。
 
 
なので、付き合い方を誤るとアブネぇってことはあるかもしれん。
 
 
、、、が。
 
「あの人、もともとはものすごく知恵者だったのに、
 インターネットを使うようになって、アホになっちゃったわ」
 
とか、
 
「かの街の大賢者、、、今ではテレビショッピングに夢中じゃ」
 
ということは、とんでもなくレアだろう。
 
 
だいたい、世の知恵者たちは、
その時代のツールをうまく使ってきただろう。
 
孔子は本を編纂してきたし、
現代の研究者もインターネットを活用している。
 
 
なので、
 
「AIを使うと、、、、ワタシ、ダメになっちゃうー!」
 
という心配は、あまりしないでいいと思う。
 
AIがあるからダメになるんじゃなくて、
もともとが、そこそこだったのだ(笑)
 
 
 
さてさて。
 
「人類」という定規で見れば、
「知」のツールはその時代時代の常識を変えたが、
知恵者の割合を変えるまでには至っていない。
 
ただ「個人」という定規で見れば、
「知」のツールを使いこなすことによって、
隆盛することも、廃人になることもあるだろう。
 
 
でも、道具ってなんでもそうだよね?
 
 
なので、そこまでおっかなびっくりしなくても、
「置いて行かれる!」と思わなくても、
ぼつぼつと付き合っていけばいいんじゃないかなー、
なんて思う次第。
 
 
あなたは、どう思います?
ではでは。
 

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