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「ジブンガスキ」が嫌い。

最近ユルい投稿が続いたので(?)、
たまには、ちょっと毒のある記事を。
 
 
フェイスブックとかブログを見ていると、
 
「自己否定をしないで、
 自己肯定感を持ちましょう」
 
「あなたはあなたのままでいい、
 だから自分を好きになって」
 
みたいなメッセージにぶつかることがある。
 
(まぁ、私が自己啓発サイドにいるから
 遭遇率が高いんだろうけれど)
 
 
そして、そのメッセージを素直に受け入れて
 
「私は、私のことが大好き!」
 
「過去に起きたこと、すべてが愛おしい!」
 
みたいに言っている人がいるんだけれど、
個人的には、
 
 
「よかったねー」
 
と思いつつ、
 
「ちょっと痛くない?」
 
と感じる場合もある。
みんなは、そんな感想を持ったことない?
 
 
まぁ、それはきっと、私の心が荒んでいるからだろうし、
そんな風に、ナナメに構えないといられない、
私自身の心の狭さなんだろうけれど、
 
 
「ジブン、ダイスキ ☆」
 
 
と、全開バリバリで発信している人は、
正直、あまり得意じゃない。
 
 
 
 
いやね。
 
スーパー自己否定感を持って
ダークなオーラを漂わせながら
 
 
「あたしなんて、生きている意味もないわ」
 
「生まれて、すみません。」
 
「ノロッテヤル」
 
 
なんて言いながら、井戸から這い出るように
うつむき加減に忍び寄って来られるよりは、
数百倍マシだよ。
 
 
でも、
 
「自分が好き!自分のこと大好き!」
 
って言っている人の中には、
自分の自己否定感から逃避するように、呪文のように 
 
 
「ジブンガスキ、ジブンガスキ、ジブンガスキ」
 
 
と言っている人もいるよね?
 
と、思うのは、私だけだろうか?
 
 
な~んか、妙な作り笑いじみた不気味さを感じてしまう。
 
 
いやぁ、ホントにすみません(笑)
 
 
 
 
個人的には、「自己否定感」と「自己肯定感」は
両極に位置する対立概念ではないと思っている。
 
 
「自己肯定感」には、当たり前のように
「自己否定感」が内包されていると思っている。
 
 
自己肯定感というおにぎりの中に、
自己否定感という梅干しが入っているような。そんな感じ?
(よけい分かりにくい?)
 
 
 
「自分って、ホントにダメなところもあるわ」
 
というのを、逃げるのではなくて
真正面から受け止め、受け入れる。
 
その上で
 
「でもまぁ、そんな中でも
 生きていて、エライやん、私」
 
と、今の自分にオッケーを出す。
 
それが健全な自己肯定感じゃないかな?
と思っている。
 
 
 
だから、
 
「自己否定を否定」したり、
「自己否定から目をそらす」人に、
 
なにか違和感を感じるのかもしれない。
 
 
 
「おにぎりには、具が入っていちゃダメ!」
 
「わっ、私は、真っ白な塩むすびなんだからねっ!!」
 
とかいいつつ、みんなの見えないところで
一生懸命梅干しとかシャケと戦っていても、仕方ないやん?
と思っちゃうわけ。
 
 
 
 
そして。
 
 
たぶん、自己肯定感には、「その先」があるように思う。
 
 
自分の中で否定するような自分がいるのも知っている。
 
そして、その上で、自然に今の自分を肯定している。
 
 
 
その先。
 
 
 
 
 
その先には、
 
 
「自己大局観」
 
 
みたいのがある気がしているんだよね。
 
 
 
自己肯定しているのを前提として、
 
 
「ああ、今、私は大勢の人に生かされていて
 その大勢の構成メンバーの一人なんだな」
 
 
と、自分を俯瞰して見ていられる状態。
 
 
 
自分が今、果たしている役割を、ただただ自然と受け入れる。
 
 
そして、時間も空間も超越して、
 
 
「ああ、私、生きているんだな」
 
 
と、自分にリアルを感じるのと同時に
遠い空から見下ろしているような状態。
 
 
そんな自己大局観を感じながら生きていたら、
 
 
「ジブンガスキ、ジブンガスキ、ジブンガスキ」
 
 
なんて呪文を唱え続けなくていいのかもしれないなー、
と思う次第。
 
 
 
さて。
 
 
ここまで書いていて、あらためて気がつくんだけれど、
 
私自身がきっと
 
「ジブンガスキ、ジブンガスキ、ジブンガスキ」
 
と言ってなきゃ、やってられない時期があったんだと思う。
 
 
そして、その頃の自分を見ているようで
 
「痛い」
 
と感じるのかもしれない。
 
 
 
何事も、プロセスというか途中段階というか、
いろんな事があるよね。
 
 
蝶が、いきなり変身するのではなく、
サナギの過程が必要なように。
 
 
ドラゴンボールのフリーザさまやセルが、
完全体になるまでに何回かの変身をするように。
 
( ↑ 不要すぎるたとえ。笑)
 
 
 
「痛い」
 
と思っているってことは、
私自身が、まだまだだっていう証拠だということで。
 
 
いや、お恥ずかしい。
 
 
ではでは。
 

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