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それ、問題が問題なんだよ。

6÷2(1+2)=?
 
これの答えって、分かる?
別にイジワルなひっかけとかはないのだけど?
 
 
「え?めっちゃ簡単やん?」
 
と思ったかもしれないけど、
なんとびっくり、数学者も頭を悩ませるらしい。
 
 
 
、、、で、答えは出た?
 
 
 
はい、じゃあ、
みんなで声をそろえて、せーの!!
 
 
「9」
 
「1」
 
 
そろわないやーーーーん!!!!
 
 
 
いやね。
  
「カッコでくくられた足し算は、先にする」
 
ってのは、みんな分かるやん?
 
 
そして、あとは左から処理していく、
となると、
 
 
6÷2が3で、
3かける(1+2)で、9やろ!!
 
 
うん、そうだよねわかるわかる。
 
 
 
でもそれに
 
「いや、チョマテヨ!!!!!!」
 
っていう反論があるんだよ。
 
 
 
 
この数式
 
6÷2(1+2)=?
 
の中の、
 
2(1+2)
 
は、これでひとかたまりだと。係数だと。
 
 
 
カッコ部分をxにしたら、
 
 
6÷2x=6/2x
 
 
となり、
 
 
6÷6
 
 
だから、答えは1!!!!
イチぃーーーーーーーーーーっ!!!!!
 
 
 
あー、そっかぁ。
うん、それも分かるね!てなる。
 
 
 
で、この問題って
関数電卓でやっても、
機種によって答えが違うんだってさ。
 
 
それ、めっさ困るやん。
 
 
 
なので、この問題の答えは
 
「1か9になるけど、
 そもそも問題が悪い」
 
という結果になるのだそうな。
 
 
 
 
で、だ。
 
 
 
これって、この数式の問題だけじゃなくて
日常で頻繁に起こってるよね?
 
 
 
誰かと意見が衝突したり。
 
あるいは、自分自身がどんなに悩んでも
結論が出なかったり。
 
 
 
それって、ほとんどの場合、
相手が悪かったり、
自分の頭が悪かったりするのではなく、
 
「前提となる問いが悪い」
 
ということだったりもする。
 
 
 
「話し合えば、分かりあえる」
 
そうかもしれない。
 
ただし、前提をそろえることができればな。
 
 
 
「ずっと考えれば、答えは出てくる」
 
そうかもしれない。
 
ただし、その前提がズレていなければな。
 
 
 
そういう意味では、
コミュニケーションは「前提合わせ」を目指さないと
分かりあうことはいつまでもできない。
 
互いに「相手の前提を理解しよう」と努力することが、 
コミュニケーションの根幹ともいえる。
 
 
 
逆に言えば、前提を合わせないまま
不適切な問い、不適切なテーマを続ければ、
互いが分かりあうことはできずに、亀裂が深まることになる。
 
 
また、自分の悩みに関しても、
そもそもの自問が「間違って」いると、
どう選んでも、それは妥協を含むものになる。
 
 
 
いや、わかるぜそうだぜ?
 
もちろん、人生に起こることすべてに
明確な問いかけをすることは難しいし、
 
すべての人と分かりあうことなんてできないし
する必要もない。
 
 
 
ただ、その上で。
 
 
互いに傷つきたくないのに
まったくの平行線になっている時。
 
 
もう悩みたくないのに、
いつまでも光が差し込まない時。
 
 
 
まずは、
 
「いや、そもそも
 この論点が ” 解なし ” じゃないのか?」
 
と、一度クールダウンするのもアリかもしれない。
 
 
 
そして、その ” 解なし ” 問題のことは
いったんわきに置いておいて、
 
今、自分ができること。
 
今、自分が相手を理解できるところ。
 
に、フォーカスを移してみてもいいのかもしれない。
 
 
 
 
個人的には、答えのないことを
考え続ける姿勢こそが
知識ではない智慧をはぐくむとは思っている。
 
 
ただ、それとは別のところで、
 
 
「おっと、これって問いが悪くね?」
 
「今ウネウネしても ” 解なし ” 案件じゃね?」
 
「答えはAでもBでもない。
 問題に問題があるのだ」
 
 
という視点もあると、
相手や自分をいじめなくて済む時も
あるんじゃないかと思うのでござんす。
 
 
 
あなたの悩みは、数式じゃない。
 
相手とのいざこざも、数式じゃない。
 
 
でも、だからこそ、
柔軟に思考することが、
相手や自分のハッピーにもつながるかもしれないね。
 
 
 
相手を疑うな。
 
自分を疑うな。
 
前提を疑え。
 
 
ではでは。
 
 
 

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