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悩みとは、願いである。

人は悩む。
その悩みは人によって様々だけれども。
 
 
悩んでいる時は、もがくほど苦しいし、
できればその悩みが、かき消えてくれればとも思う。
 
 
ただ、友人は言う。
 
「悩みって、その先に、その奥に、
 本人が ” こうしたい ” っていう願いがある」
 
と。
 
 
 
たしかにそうだ。
 
 
こうしたい。
こうしたかった。
 
という切実な願いや望みがなければ
人が悩むことはない。
 
 
身を焦がすような
痛みを覚える悩みであっても、
その奥底には、
 
「本当はこうなりたい」
「こんな自分でありたい」
 
という、祈るような願いがある。
 
 
 
だから、
 
悩みから逃げたり放棄したりすることは、
実のところ、本当の自分の願望を諦めることになる。
 
 
すべての悩みがなくなるというのは、
 
すべての願いを諦めることに等しい。
 
 
それはきっと、もったいないことだし、
人として生まれてきて、
それでは味気ないようにも思える。
 
 
 
さてさて。
 
 
悩みは辛い。重い。
できればなくなって欲しいとすら思う。
 
でも、その悩みの水底には、
あなたが心から願う
 
「こうしたい」
 
の種子が眠っている。
 
 
その願いの種が芽を出し、
大樹へと変貌するためには
痛みを伴うだろう。
 
悩みと向き合う必要があるのだろう。
 
悩みに向き合うことこそが
願いの種子に水をやり、
人格の土壌を耕すことになるのだろうから。
 
 
 
もちろん、悩みの種類によっては
色々とあるかもしれない。
 
もう解決できないようなものや、
やるべきではないようなものも
あるかもしれない。
 
 
でも、その悩みそのものが
たとえ解決できなかったとしても、
あなたの心の中に在る「願いの種子」は
形を変えて、あなたに明るい未来をもたらすんじゃないかな?
 
 
その痛みが、
あなたの望む未来をもたらしますように。
 
 
 
ワタシ自身は、
最近そんなに身を切り刻まれるような
悩みがないなぁ。
 
それだけ「本当に願っている未来」が
ぼやけているのかもしれませんわ。
 
 
ではでは。
 
 
 
 

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