昨日、昔の夢を見た。
新入社員当時に働いていた職場で
今もずっと働いているという夢だ。
今となっては懐かしい先輩たち。
職場だけで使われていたような
言葉たちが飛び交う。
いい夢だったのか?
そうだと言えるだろう。
起きた時、
「あのまま勤めていないで、本当に良かった」
と、今に感謝できる朝を迎えたのだから。
当時の私は、本当にダメ社員だった。
営業成績も悪く、
社内外の人間関係も落第点。
休みの日に会えるような友達も限られている。
勤続3年もすれば、誰でもなれるという
「副主任」という肩書も、
同期の中で遅れたのは、たしか私だけだったと思う。
もしあのまま、今の年齢まで勤めあげていたとしても、
出世することはなかっただろう。
出世はともかく、
来る日も来る日も
上司やお客さまに怒られる日々を過ごしていたら、
私の心は摩耗し続けただろう。
「なんでこんなにダメなんだろう?」
と自問を重ね、最悪、この世から離れるという
選択をしていたことだってあり得る。
いま生きているのは。
いま心身ともに「私」でいられるのは、
あの時と違う道を選んだからに他ならない。
少なくとも、あのままの生活をしていたら、
今このように文章を読んでくれているあなたと、
今このような関係性で会うことは、なかっただろう。
だから今、改めて思う。
あの時、別の生き方を選んでよかった、と。
別の生き方を許してくれた人たちや時代に
恵まれてよかった、と。
夢に見たパラレルワールドに、
「こちら側」が現実でよかったと思える。
もし逆であったら、
人間性自身が、まるで違うものであったのだろう、と。
そして。
きっと同じような経験が、
あなたにもあるのではないだろうか?
あのまま、あの場にいることを選んでいたら、
自分の心が破壊されていただろう、と思えるような時が。
もし、あそこで変化を望まずに、
今の年齢まで過ごしていたとしたら、、、と
恐怖を覚えるような体験が。
それは、職場かもしれない。
それは、友達関係かもしれない。
それは、恋人関係かもしれない。
それは、家族関係かもしれない。
あるいは、別の何かかもしれない。
いずれにせよ、あなたがあなたでないような場所に
とどまり続けなくていい。
とどまり続けなかったあなたに
惜しみない拍手を送りたい。
その共同体(組織にしろ、家族にしろ)に
なじめなかったからといって、
あなたのすべては肯定され続ける。
誰かがそれを「逃げ」と言うのであれば、
それでもいい。
「逃」は「 ⻌ 」と「 兆 」。
「 ⻌ 」は、「立ち止まりつつ、進む」の意。
「 兆 」は、「はじき割れる」の意。
自分の心が、魂が、はじき割れる兆しを感じた時、
立ち止まって、別の道を進むことにした。
ただそれだけなのだから。
そして、もし。
今、あなたの心や魂が
はじき割れそうであるのならば。
そんなタイミングで、この文章に出会ったのならば。
逃げろ。あなたは美しい。
あなたを守っている甲羅が
はじき割れる前に。
別の道を選べば、別の人たちがいる。
時代は、変わりつつある。
あなたが、四肢を縮こまらせて
甲羅にこもっている間にも。
やりたい事のために耐えるのと、
やりたくないことに耐えるのは、
意味も、そこから訪れる未来も違う。
あなたを大切にしてくれる人はみんな、
あなたらしいあなたに会いたいと願っている。
だから、大切にされたいのであれば、
まずはあなたが、あなたに会いに行かなきゃ、ね。
歯を食いしばれ。そこであなたがみつかるのなら。
逃げろ。そこであなたが壊されてしまうのならば。
ではでは。