とても乱暴な極論だけれど、
お金とは、時間を早めるツールだ。
たとえば、
1駅歩くのと電車に乗るのでは、
電車の方が早い。
自分で準備して料理を作るのと、
食べたいものを買うのとでは、
買う方が早い。
自分ができないことを
イチから学ぶよりも、
誰かプロにやってもらう方が早い。
そういう意味において、
お金は時間を早めるツールだ。
諸条件を無視して考えれば、
時間をかければできることを
私たちはお金を使って効率化してゆく。
それも大切だ。
しかし。
多くの「時間を買う」という行為は、
私たちを便利に快適にするけれど、
それがイコール幸せか?というと、
実のところ、真逆に走ることだってある。
電車に乗れば、たしかに早い。
ただ、1駅歩くことによって得られる
のんびりとした時間や発見が
愛しい思い出になることだってある。
買ってくる料理は、美味しい。
ただ、自分で作った料理、
それを誰かと共有することは、
買ってきた料理には入れることができない
最高のエッセンスとスパイスがつまっている。
プロの技術は、素晴らしい。
ただ、自分でやってみることによって得られる
試行錯誤の時間や、体験そのものは美しい。
それは人生を豊かにしてくれると同時に
ふだん何気なく頼っている本職の誰かに
心からの感謝ができることにもつながっている。
そう。
お金という選択肢がある上で、
あえて自分でやる。時間をかける。
そこにこそ、珠玉の幸せがつまっているように思う。
「お金で幸せは買えない」という。
それはある意味正しく、ある意味間違っている。
お金を使うことで得られる幸せもある。
でも。
本当に時間を使うべきところを
「早めてしまう」ことで、
幸せが指の隙間からこぼれ落ちてしまうこともある。
愛を手っ取り早く得たいからといって、
お金にものを言わせたら?
時間をかけて作れる豊かさに、
お金を介入させてしまったら?
迷うこと。
思い通りに行かないこと。
戸惑うこと。
それらを、お金の力を使って
一切放棄してしまった人生は、
果たして豊かと言えるのだろうか?
早めたことで通り過ぎた
そこでしか得られない「意味」たちは、
むこうからやって来てくれることは、ないだろう。
さてさて。
幸せの形は、自分で決めればいい。
というか、自分でしか決めることができない。
その上で。
本当に手に入れたいものは、
自らの手で、時間をかける。
それが実は、一番ぜいたくなことなのかもしれないね。
ではでは。