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「異なる者」へ。

これから書くことって
ものすごく当たり前のことなんだけれど。
 
 
なんか、色んな人のいろんな生き方に触れて
あらためて思うのは、
 
「人は、生きたい場所で、
 一緒に生きたい人と、
 自分の生きたいように生きればいい」
 
ということ。
 
 
だって、他の人は、
自分が何者なのかを決められないから。
 
 
 
 
そうそう。
 
 
昔、さして仲良い人ではなかったけれど、
 
「私は特別な人間で、他の人とは違う」
 
と言い続けていた人がいた。
 
  
 
 
その人は、
 
分かりやすい才能に恵まれていたわけでもなく、
学歴や家柄が特別だったこともない。
 
 
社会的に分かりやすい実績もこれといってなく、
経済的に成功をおさめているわけでもない。
 
 
人格的に人々を魅了するわけでもなく、
身体能力や外見がずば抜けているわけでもない。
 
 
霊感とかエネルギーとかになると
もはや測ることができないので分からない。
 
 
 
それでも、そのご本人は
 
「私は特別な人間である」
 
というスタンスで生き、
他の人を「まだまだね」と
やや侮蔑的な目で見ながら過ごしていた。
 
 
 
私は、この方を否定するつもりも
罵倒するつもりもない。
 
(友達として付き合いたいかは別)
 
 
 
むしろ、
 
「本当に、他の人は自分を
 測る事なんてできないんだな」
 
ということを気づかせてくれた存在だ。
 
 
 
 
誰かがその人に
 
 
「あなたのその特別意識は、
 劣等感の裏返しでしょ?」
 
「え?あなたって、何者でもなくない?」
 
 
と言ったとしても、
 
 
「社会的・物質的に見えることでしか
 わからない可哀想な人」
 
「あなたは内面の豊かさレベルにまで
 到達できてない」
 
 
という感じで反論され、ずっと平行線だ。
 
 
 
 
 
個人的には、
もうそれがいいんじゃね?と思う。
 
(今、その人、何をしているんだろう?)
 
 
 
 
そこまで極端な人でなくても。
 
同じようなフィールドで活動している人同士であっても。
 
馬の合う、合わないは常に転がっている。
 
 
 
 
「言ってること、わかんない」
 
という人と無理して一緒に過ごすことないし、
 
「我慢に我慢を重ねて。。。。」
 
ってところは、できる限り
フェイドアウトしていけばいい。
 
 
 
 
「人は、生きたい場所で、
 一緒に生きたい人と、
 自分の生きたいように生きればいい」。
 
 
 
 
なので、
自分たちが「いい!」と思うことを共有できる人と
人生を歩むのが幸せなのだと思うのでありんす。
 
 
 
その上で、
 
 
自分とは違う人に過干渉したり侵害したりせず、
 
「そっちの生き方もいいね!アリだね!」
 
と思えるような人間性を培っていければ
それでいいんじゃね?なんて思う次第。
 
 
 
今後の世の中は、
ますます「類友」が増してゆく。
 
 
 
だからこそ、自分と違う「異なる者」が
いがみ合うことなく、愛を持って
尊重し合えるようになるといいな、
なんて思ったりするっすークルックー!
 
 
 
自分が受け入れがたい人を
無理して受け入れなくてもいい。
 
そして、自分が受け入れがたい人を
攻撃する必要もない。
 
 
 
なんとなく、必要な人がいそうな気がしたので。
 
ワタクシ自身は、元気です(^^)/
 
 
 
 
 
ではでは。
 

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