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「傲慢」ってことを定義してみると、

昨日、ビジネスのプロフェッショナル達が
集う場所におじゃまさせてもらった。
 
彼らは、それぞれ自分が携わっている分野で
素晴らしい成果を出している人たち。
 
中には1アクションで数千万円の売り上げを
コンスタントに出し続けている人もいる。
 
 
 
普通、そういった人たちが集まると、
 
「先日、コレコレというプロジェクトで
 ○○という成果をあげた」
 
とか、
 
「この前、こういった問題が発生したんだけれど、
 コレコレで解決できた。
 みんなも気をつけるといいよ」
 
といった、具体的な話が飛び交う事が多い。
 
 
 
現実で成果を出していて、
さらに大きな成果を狙っているんだから
まぁ、当たり前だよね。
 
 
 
でも、昨日集まったメンバーが話しているのは、
そういった具体的な話ではなく、
 
「“良い”ビジネス、企業体と、
 “とんでもなくスゴい!”ビジネス、企業体とは
 どこに違いがあるのかを検証する」
 
とか、
 
「“常識”“定石”だとされているビジネスの進め方が、
 これからの時代、通用しなくなるとしたら、
 今後はどのようになっていくのか?」
 
 
といった、やや抽象的な話をシェアし合うという形で
終始時間が流れて行った。
 
 
 
通常は、
 
「具体的な話だけをする、成果を出しているビジネスマン」
 
「抽象的な話だけをする、成果を出していないビジネスマン」
 
のどちらかになりがちなところ、
より高みを目指して勉強を続ける彼らに、
本当に刺激を受けて帰って来たんだよね。
 
 
 
そして、
 
 
たくさんの刺激とインスピレーションをもらった中で、特に
 
「なるほどなー」
 
と思って、今回とりあげたいのは、
 
「傲慢」
 
ということの定義。
 
 
 
 
「企業体は、傲慢になることから
 衰退のサイクルに転落していく」
 
といった内容の話をしている中で、
集まったメンバーの一人に聞いてみたんだよね。
 
 
「あなたの中で“傲慢”というのは、
 どんな風に定義される?」
 
ってね。
 
 
 
 
 
すると、彼はこんな主旨のことを言った。
 
 
「“もうコレは大丈夫”とタカをくくることも傲慢。
 
 “このステージは終了。新しいステージへ”と
 基礎を怠ることも傲慢。
 
 “コレはやったことないけれど、
  今までの経験があるから、平気だろう”と
 浅はかに判断するのも傲慢。
 
 “私は、すごい人なんだ”と
 自分の価値を高く見積もることも傲慢」
 
 
とまぁ、ここまでは、けっこう普通にうなづける内容だった。
 
そして、彼は話を続ける。
 
 
「さらに、
 “自分は、なんてダメなんだろう?”とか、
 “私なんて、生きている価値がない”なんて、
 自分の価値を低く見積もることも、傲慢」
 
 
 
 

———-彼が言うには、
  
それまで自分がいただいてきた食べ物(=命)や、
 
育ててくれた親、環境、友人。
 
そして、自分にインスピレーションを与えてくれた
本や、勉強した内容など、先人の知恵。
 
 
自分の価値を低く見積もるというのは、
そういった全てのものに対して
 
「価値が低い」
 
ということに他ならないから、ということらしい。
 
 
 
さらに、そんな前置きをしたうえで、
 
 
「これこれという行動をしたから
 コレコレという結果が出る、という
 因果関係で世界は成り立っている」
 
 
「傲慢と言うのは、実際の因果関係を
 客観的に見ることを放棄し、
 不明確にすることによって発生する」
 
 
「因果関係に基づかない個人の思いこみは
 すべて傲慢になりうる」
 
 
と、定義したんだよね。
 
 
 
そんな彼は、自分の傲慢さを振り返って、
部屋の壁に、自分の傲慢さを戒める言葉を
紙に書いて貼っている。
 
 
 
 
 
 
 
「傲慢」というと、
 
なんとなく他の人に偉そうにふるまったり、
自分の能力の高さに驕ってしまうことを
イメージしやすいと思うけれど、どうだろう?
 
 
 
そして、
 
「私なんて、全然ダメです」
 
なんていう言葉は「謙虚」なんじゃないか?
と思いがちだ。
 
 
 
でも、実際は表面に出てくる形が違うだけで
どちらも因果関係を不明確にしていることには
変わりがない。
 
 
だから、彼の中ではどちらも
「傲慢」
になるんだろうな、と思った次第だよ。
 
 
 
 
 
 
ビジネスにおいても、プライベートにおいても、
 
「あの時こうしたから、結果こうなった」
 
という事は、たくさんあるだろう。
(というか、ほぼすべてが
 因果関係で成り立っているだろう)
 
 
 
ギチギチに考え過ぎて、窮屈になるのは本末転倒だけれど、
 
「因果関係を不明確にすることは傲慢である」
 
と、頭の片隅に置いておくと、
物事へ対応する姿勢が、ちょっと変わるかもしれないよね。
 
 
 
私の中にある、数え切れない傲慢さを感じながら。
 
 
ではでは。
 

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