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水道水のような才能

「私なんて、大した才能ないよね」
 
「私よりも上手い人、詳しい人なんてたくさんいる」
 
「だから、自分が人に提供するなんて、自信がない」
 
 
そんな風に尻込みをしてしまうことって、あるよね。
 
 
 
私自身も、よく尻込みしてしまうことはあるし、
いつも自信満々で行動できる人を、うらやましいとも思う。
 
 
ただ、
 
「自分の知っている事、持っている事なんて
 大したものじゃないから、どこにも発信しない」
 
なんて言って行動をためらっているのは、
実は、ものすごいエゴだと思う。
 
 
本人はエゴのつもりなんてないだろうし、
むしろ謙遜という美徳のつもりかもしれないけれど、
やっぱり、行動をためらうのはエゴだと思う。
 
 
なぜなら、
あなたの知っている事や持っているもの・スキルが
 
「大したものか、大したものじゃないのか」
 
を判断できるのは、あなた自身じゃなくて、
あなた以外の誰かであり、世間だから。
 
 
 
たとえば、あなたが今、
コップ一杯の水道水を持っていたとしよう。
 
どこにでもある、なんの変哲もない水道水だ。
大したものじゃない。
  
 
でも、たった今砂漠を横断してきて、
命からがら生き延びてきた人にとって、
あなたの持っている水道水は、どれだけの価値があるだろう?
 
その砂漠を横断してきた人は、
あなたの持っている水道水を、それこそ
命を削る思いで欲しているわけだ。
 
 
でも、
 
あなたは、
 
「だって、この水道水って、どこにでも手に入るし」
 
「これよりも、もっとおいしい水なんて、いくらでもあるし」
 
と言って、その人に手渡さなかったら、
砂漠を横断してきた人は、一体どうなるだろう?
 
 
そして、
 
今、あなたが知っている事、持っているものやスキルが、
誰かにとっての「水道水」じゃないと、どうして言いきれるだろう?
 
 
 
 
 
あなたが、もし自分の知っている事や持っているもの・スキルを
 
「こんなの大したことじゃない」
 
「もっとすごい人が、世の中にたくさんいる」
 
という理由で、発信をためらっているのであれば、
 
それは謙遜だけではなく、
 
 
「もし、発信した結果、
 誰からも相手にされなかったらどうしよう?」
 
「自分が発信したのに、バカにされたら恥ずかしい」
 
 
 
という、個人的な思い(=エゴ)がないのかを、
ちょっと考えて見てもいいかもしれないよね。
 
 
 
 
 
 
自分の価値は、自分で決めるという部分もあるかもしれない。
 
 
でも、
 
あなたが持っているものは、外に出してみなければ
価値の判断しようがない。
 
 
自分で自分を過小評価する前に、
 
「私は、こんなものを持っています」
 
と、勇気をもって発信してみるのもいいかもしれないね。
 
 
あなたが知っていること、持っているものやスキルによって、
それこそ砂漠でオアシスをみつけたような救いになる人が
世の中にいるかもしれないのだから。
 
 
ではでは~

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