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運のいい人

 
「あの人は、運がいい」
 
「運がいい人になりたい!」
 
 
と、「運」については色々と語られているよね。
 
 
 
誰だってアンラッキーな人よりは
ラッキーな人になりたい。
 
私だってそうだ。
 
 
 
 
また、ラッキーがなければ、どんなに努力をしていても、
なかなか花が開かないのも、
たくさんの人を見ていると、事実のように思う。
 
 
 
多くの人の、いわゆる「成功」プロセスを見ていると、
 
自分よりもたくさんの“資産”を持っている人に引き上げられて、
成功の階段を登り始める人が圧倒的に多い。
 
 
 
 
自分一人の力で成功をつかんだり、
自分と同じような人とチームを組んで成功をする人は、
ごくごく稀というのが現実のようだ。
 
 
 
ここで言っている“資産”というのは、
なにも金銭的なものばかりではない。
 
 
 
 
たとえば、
 
 
圧倒的に多くのファンがすでにいる人に
 
「こいつは見込みがある」
 
と目をかけてもらい、
その人のファンに紹介をしてもらえたり、
 
 
 
自分にない知識を提供してくれる人が
肩入れをしてくれたり、ということも含まれる。
 
 
 
 
いずれにしても、そんな出会いに恵まれるのも
突き詰めて考えていくと
 
「運がいい」
 
というひと言に集約されちゃうと思うんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
ただ。
 
 
 
果たして「運がいい」というだけで、
継続した幸せが手に入れられるのか?
 
というと、そうでもないように思う。
 
 
 
 
まず第一に、
 
運で成功の道が開けたとしても、
本当の実力がないかぎり、いつかは飽きられる。
 
 
「あの人に紹介をしてもらって、
 はじめは面白いと思ったけれど、
 実は、そうでもないよね」
 
 
「最近出てきた別の人の方が
 とりあえず目新しいよね」
 
 
と、どんどん興味を失われて行く。
 
 
 
 
運で登って行けたとしても、
それが“もつ”のは、まぁ長くても3年くらいだろう。
 
 
一発屋、と呼ばれる芸人さんたちは
もっとサイクルが短いかもしれない。
 
 
露出が多ければ、その分飽きられるのも
早いんだろうからね。
 
(個人的には、一発屋だとしても
 それは素晴らしいとも思うけれど)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに。
 
 
 
もっと寂しいことに、幸せという意味では
「運」では、自分自身の満足を得られにくい
ということがあるだろう。
 
 
 
「自分は、運があった」
 
というのは、本人が自覚していることになるだろうし、
周囲の目も
 
「あの人は、実力派だ」
 
というよりも、
 
「ああ、あの人は運がいいだけだから」
 
と見ることが多い。
 
 
 
 
 
そんな中で脚光を浴びても、
心からの満足は得られないんじゃないかな?
 
なんて思うんだよね。
 
 
 
 
 
運は、とっても大事。
 
 
ただ、できることなら
 
 
「あの人は運もあるかもしれないけれど、
 実力から言っても、遅かれ早かれ芽を出していたよね」
 
 
「あの人の場合は、運は
 ほんのきっかけだったと思うよ」
 
 
みたいに思われるような、
実力をともなっている人でありたいなぁ、と思う次第。
 
 
(こんなに周りの目を気にしている時点で
 けっこう残念な人なのだが)
 
 
 
 
 
そう。
 
 
出来得るならば、
 
圧倒的にすごい作品を残したいと思っているし、

運があってもなくても、きちんとした成果の出る
仕事のやり方をやっていきたいと思っている。
 
 
 
 
まぁ、そう言いつつも
 
「私にもっとラッキーなことが起こりますように!」
 
と、毎日願ってやまなかったりもするんだけれどね(笑)
 
 
  
コツコツ実力を磨きつつ、
運よカモン!と願うことにしますわ。
 
 
ではでは。
 

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