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花の人。根の人。

おかげさんで色んな方々と
交流をさせていただいているのだけれど。
 
 
つくづく、
 
「その人その人それぞれで
 いろんな特性があるなぁ」
 
と思うんだよね。
 
 
 
ものすごくスター性のある人。
 
じっくりと問題に向き合う人。
 
いるだけで、なごやかな雰囲気を作る人。。。
 
 
 
その中で、
 
「本人が望んで努力をしたいのなら別だけど
 他者が無理やり、特性外のことを押し付けても
 そりゃアカンわ」
 
なんてことも思う。
 
 
 
人を草木に喩えるとするならば。
 
 
 
美しい花を咲かせ、
人を魅了するような人もいる。
 
 
枝葉で賑わせるような人もいる。
 
 
しっかりとした幹で、
そこから生み出されるもので
社会を支えるような人もいる。
 
 
いつもは何もしていないように見えて
根を張り、全体にエネルギーを送る人もいる。
 
 
 
そして大事なのは、
 
「そのすべてをやれる人はほとんどいないし、
 それでいい」
 
ということ。
 
 
 
バンっと目立つ「花」の人が、
ものすごく太い「根」も持っていることは、まれだ。
 
 
目立つ!という「攻め」はできるけれど
責任を負ったり、経営をしたり、
実作業は不得意、という人は多い。
 
そして、それでいい。
 
 
 
なにか困った事があった時に
みんなが頼るような人が、
大きなステージに立って
たくさんの人を魅了したりはしない。
 
「根」が優れていることイコール
「花」も最も華やかであるとはならない。
 
 
 
また、
 
たんぽぽの群生の中、
バラが一輪ポンと咲いていたら
それはそれで違和感だ。
 
 
あるいは、
 
今まで目立ってなかった花が、
周りが変化することで
主役の花になることもある。
 
 
 
つまりは、適所なのだ。
 
 
 
自分の特性を知り、
その特性を活かせる役割を担う。
 
自分が苦手な役割は
感謝をもって他の人にやってもらう。
 
 
それが幸せにつながりやすい。
 
 
 
不幸なのは。
 
 
単なる「憧れ」から、
他の特性になろうとすること。
 
 
もちろん、本人の意思で
努力しようとするのは、ぜんぜん構わない。
 
 
 
そうではなくて、
 
 
「私はこれだけ見事な ” 花 ” なんだから
 経営といった ” 幹・根 ” にだってなれるはず!」
 
「ずっと今まで ” 根 ” でみんなを支えてきたのだから
 今度は ” 花 ” の番。みんなが支えてくれよ」
 
「これだけ ” 枝葉 ” をつけられるのだから、
 他のことだってマルチにできるはず」
 
 
と、一足飛びに特性を超えようとするのは、
まわりも本人も不幸になるパターンだ。
 
 
 
” 花 ” として最高峰だったとしても、
” 幹 ” としては、また新たに経験が必要。
 
 
” 根 ” として大地に太く張り巡らしていても
そのまま ” 花 ” が咲くかは、また別の話だ。
 
 
 
 
これは何も、
 
「自分の可能性を諦めろ」
 
「あんたはそんな器ではない」
 
という話ではない。
 
 
 
今ある特性が、もうギフト。
 
そこを磨けばいい。それが可能性だ。
 
 
 
自分の意思ではない
「憧れ」「他の人の思惑」で
特性外のものになろうとするのは、
全員の不幸のはじまりだ。
 
 
 
もちろん、中には、
 
「花も、枝葉も、幹も、根もある」
 
っていう人もいるかもしれない。
 
 
 
でも、その人は、
とんでもない努力をしているのだろうし、
すべての特性があることが
本人を幸せしているとも限らない。
 
 
ものすごく花として目立ちながら、
 
生い茂る枝葉で賑わせ、時に木陰を作りながら、
 
本人の持っている幹で社会を実体的に支えながら
 
深く根を張り、陰ながら守る。
 
 
大変だと思わない?
 
 
 
 
なので。
 
 
 
・自分の特性に合ったことで生きてゆく。
 
 
・努力もいいけれど、
 憧れや他の人の意思で他の特性に手を出さない。
 
 
・特性外のことは
 感謝を持って人にやっていただく。
 
 
・自分の特性以外の人に自分の特性を押し付けたり、
 他の特性の人ができないことを批判したりしない。
 
 
 
そんな風に生きるのが
幸せにつながると思うのでありんす。
 
 
 
花は花で。
 
根は根で。
 
 
いいんだぜ。
 
 
ではでは。
 

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