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背中

今回の話は、ものすごく感覚的な話なんだけど。
 
 
お仕事で、なんらかの役割を受けますやん?
 
 
自分で「じゃあ、これ私がやります」
と立候補する場合もあるだろうし、
自分で仕事を作る場合もあるだろうし、
誰かから割り振られることもあるだろう。
 
 
いずれにしても、
その時、体の「どこに」仕事を感じるかで、
うまくいく、いかないが、すでに決まると思う。
 
 
分かりにくい?
じゃ、もう少し説明させて。
 
 
 
えっと、基本さ。
 
 
仕事は、「になう」ものだし
「請け負う」ものじゃない?
 
 
少なくとも仕事は、「かかえる」ものじゃないし、
「手いっぱい」にするものでもないじゃない?
 
 
 
ってことを踏まえると。
 
  
仕事を「背中」で感じている時は
「になえ」てるし「請け負えて」いるようで、
 
仕事を「手」とか、体の前面で感じている時は
「かかえて」て、「手いっぱい」になってる気がする。
 
 
 
伝わりる??
 
 
 
背負えているのか、
手に負えないのか、みたいな。
 
 
 
なので。
 
 
 
いざ仕事が来た!という時に
背中にズシっと「圧」を感じた時は
結果として、自分の仕事として全うできているように思う。
 
 
逆に、手とか、体の前面に「圧」を感じる仕事は
役割として自分が受け持つと、振り返ると
周りも迷惑する結果にしかならなかったと思うごめんなさい。
 
 
 
 
 
そう。
 
 
 
背中に責任を背負って、ある仕事を全うする。
 
自分が果たす役割を、きっちりと果たす。
もし失敗したら、その代償を受ける。
 
 
そんな結果を積み重ねることで、
背中で語れるようになる。
 
 
 
そうでないと、
 
 
やるやる言って、手に負えなくなる。
 
自分の役割というより、損得や名声、
あるいは「自分も何かやらなきゃ」という
焦燥感に振り回されてしまう。
 
 
すると、いつも「仕事ください」と
手先で追いかけることになってしまう。
 
 
 
いや、やりすぎると
背中に背負いきれずにつぶされそうになったりもするから
加減はあるけどね。
 
 
でも、いつも「やる!」と言って
手に余って放り出してたら、信頼はつかないでしょ?
 
 
 
 
さてさて。
 
 
人には役割がある。
 
すべてを自分でやる必要はないし、
自分の役割でないことをやるのは
他の人への妨害でしかない。
 
 
もちろん、自分の可能性を広げるために
チャレンジをすることは大切だ。
 
 
でも、それは本来活躍できる人を
差し置いてまでやることなのかは
考える必要があるかもしれない。
 
 
 
 
 
 
何か仕事、あるいは重要な何かが来た時。
 
 
背中に圧を感じるのか?
 
体の前面に圧を感じるのか?
 
 
 
天からズシっと来るのか?
 
前から迫られたり、自分が追いかけたりして来たのか?
 
 
 
どちらなのか?
 
 
 
それが自分の天職というか、
役割を判別する方法なんじゃないかな?なんて思う。
 
 
 
もちろん、いつもいつも
自分の背中で感じる仕事ばかりを選べないかもしれない。
 
 
でも、たぶん「手」とか「前」に感じる仕事は
もっと他の人に譲るべきだ、
というサインだとも思うんだよね。
 
 
そうじゃないと、いつまで経っても
小手先で生きることになっちゃいそうだから。
 
 
 
なので、できるかぎり
背中に背負って、腹に落ちる仕事を選び、
前に圧を感じて、手に余る仕事はお断りする。
 
 
そう意識していくと、
みんなが「自分の仕事」ができるような
世の中になってゆくのかもしれないね。
 
 
 
感覚的な話でスミマセン!
 
 
あなたが背中に圧を感じることは、なんですか?
 
 
 
ではでは。
 

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