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ダサさとは?

今回のお題は怖いぞ。
なんせ、すぐにブーメランとして
ワタシに返ってくるテーマだからな。笑。
 
そんなリスクをおかしつつ、
今回も元気にまいりましょう!!
 
 
 
さて。
 
 
「なんか、ファッションがダサい」
 
「ギャグがダサい」
 
「お金持ちアピール、若いアピールが
 なんかダサい」
 
など、何かといろいろとダサさってのが
にじみ出てきてしまう時があるけれどさ。
 
 
じゃあ、「ダサい」って、
一体どういうことなんだろうね?
 
 
まぁ、
 
「ダサい、を定義する」
 
という行為自体に、
そこはかとなくダサさを感じるものの
あえて定義をしてみるとすると。
 
 
個人的には
 
 
【 ダサさとは、アップデートできていないこと 】
 
 
だと思うんだよね。
 
 
 
例えば服装なら。
 
昔に流行っていたファッションセンスのまま、
あるいはお母さんに買ってもらった服センスのまま、
あるいは自分の年齢が若いころのまま、
のようにアップデートしない。
 
 
 
そうすると、他の人から見ると、
 
「あれ?なんかダサくね?」
 
となる。
 
 
今の感覚からは、少しばかり
ズレてしまっているところに、ダサさはある。
 
 
今まで見たこともないような
超先鋭的な「いでたち」をしている人を見て
 
「なんかクレイジーだな」
 
という感想は持っても、
 
「ダサいな」
 
という印象は持たない。
 
 
ダサさとは、どこかにノスタルジックな
かほりが漂っている、歴史の垢が付着しているものに
感じるように思うのだけれど、いかがでしょ?
 
 
 
当時はバリバリにイケててとんがってた
ワンレンボディコンや黒ギャルルーズソックス。
 
それでも今見ると「ダサく」感じてしまいがちだ。
 
 
 
あ、いや、今でも信念を持ってやっている方は
 
「意識してアップデートしていない」
 
のだから、全く問題ない。
問題ないどころか、美学を感じる。
 
 
ただ、信念なく
 
「無意識のままアップデートをやめていた」
 
場合は、そこに「ダサさ」が発芽してしまう。
 
 
 
それはもちろん、ファッションだけに限らない。
 
 
ジョークも、知識も、歌も、
摂る栄養も、肉体も、考え方も、
ビジネススキルも、コミュニケーションも。
 
 
すべてがアップデートできていないが故の
「ダサさ」につながってしまう可能性がある。
 
 
  
いやね。
 
 
別にすべてにおいて流行を追いまくって
ダサさを回避しろ!
 
なんて言うつもりはござんせん。
 
 
齢を重ねれば重ねるほど、
自分の中の信念が醸成されていって、
それが
 
「あなたらしさ」
 
にもなるし、常に情報に振り回されて
右往左往している姿も、なかなかに
「ダサい」「イタい」だろうから、ね。
 
 
 
なので、
 
ファッションにさほど興味のない人だったら
自分が落ち着いていられる服を着ればいいし、
 
ジョークだって「ダサさ、オッサンくささ」が
愛されるキャラクターだっている。
 
 
若かりし頃、自分が好きだったことを
愛し続けるのは素晴らしく美しいことだし、
 
そもそも「ダサい、ダサくない」という基準なんて
気にせず生きればええやんけ。
 
 
 
 
ただ、その上で。
 
なんで今回、そんな「ダサさ」を
ピックアップしたかというと。
 
 
 
社会で過ごす以上は、
社会性だけはアップデートしておいた方が
自分のためになるなぁ、ということを
ひしひしと感じたから。
 
 
昔はオッケーだったり、許容されていたり、
「やんちゃ」で済まされるような言動が、
今は完全アウトになったりすることが
最近、ことのほか多いからだ。
 
 
無意識にアップデートをやめていた結果、
それが「ダサい」を通り越して炎上したりする。
 
 
だから特に発信する立場に自身の身を置いている人や、
組織などで指導的立場にいる人は、
 
「自分の社会性のアップデート」
 
は、チェックしておいた方がいいよね。
(ああ、ブーメランが飛んでくるよ)
 
 
 
昔の「これくらい普通」は、
本人が気が付かないうちに
有毒で、引火性のあるカビに育っている。
 
 
そのカビは、扱いを間違えると、
自身を社会的な死に至らしめる可能性すらある。
 
気を付けたいなぁ、と心から思う次第。
 
 
 
「じゃあ、どう気を付ければいいの?」
 
 
ということなんだけれど、
アップデートをしている人との交流を持つ、とか
自分の「正しさ」を常に疑う、とかあるけれど、
一番は、
 
 
「自分よりも年下の師匠を何人も持つ」
 
 
ってのが、いいんじゃねぇかなぁ?
 
 
 
別に
 
「ははーー!!!
 あなた様が師匠でございます!」
 
みたいな関係じゃなくていいので、
 
ある時は友達で、ある時はこっちも教えるけど、
人間として心からリスペクトできて教えを請える、
みたいな人。
 
あ、もちろん自分の家族以外で、
できれば仕事とは別の関係でね。
 
 
その中で、可能なら
ひと回り以上年下の人も含まれていると
いいんじゃないかな?と個人的は思う。
 
(ひと回り、っていう表現がもうダサいけど)
 
 
 
そういう人たちとの、普通の交流の中で、
 
「あ、それは知らんかった」
 
「これはマズいんやな、、、、」
 
と、そこまで頑張らなくてもアップデート
させてもらう環境に身を置けば、
「社会的ダサさの猛毒」は除菌できる気がする。
 
 
 
さてさて。
 
 
自分の考えが正義、常識。
 
それを疑うことすら忘れた時、
「ダサさ」は腐臭を放ちだす。
 
 
自分が居心地がいい場所だけでなく、
自分とは違う文化と常識を持っている人に
いさめてもらえる場に身を放り込む。
 
 
そんなことができるように
ワタシもアップデートしていければと
思います。
 
少なくとも、
社会から離れるまでは。
 
 
ではでは。
 
 
 

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