なんとなく自慢たらしいというか、
偉そうな雰囲気の人っておるやん?
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本人はそう思っていなかったとしても、
周囲からすれば鼻につくような人。
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あるいは、ものすごく謙虚な態度だけれど
「なんか、本当は相手を見下してそう」
という腐臭を感じる人。
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そして、そんな人は結構な割合で
「あの人、えらそう」「だよねー」って、
みんなに思われてる。
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逆にすごく謙虚な人もいて、
そういう人は、「あの人、謙虚だよね」って
みんな同じ感想を抱いている。
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じゃあ、偉そうな人と謙虚な人って、
一体何が違うの?ってことなんだけれど。
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偉そうな人は、自分を「外」で支えていて、
謙虚な人は、自分を「自分」で支えている。
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そんなイメージ。
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分かりやすい例で言えば、
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たとえば、「お金」とか「学歴」とか「家柄」とかって、
本人そのものというより、本人が着飾っている
「外」のものじゃん?
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お金はなくなるし、
学歴とか家柄とか有名企業とかって、
「それ」が崩壊したら意味がなくなる。
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どこかの組織内で偉くてチヤホヤされていても、
その組織から抜けたり、その組織がなくなれば
その人はただの人になる。
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なのに、その「外」を、
自分の存在を支えるメインアイデンティティに
している人は、自慢たらしくなりがち。
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本人は自慢しているつもりでなかったとしても、
その「お墨付き」にすがる時、人は自慢たらしくなる。
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私自身も自慢たらしくなる時がある。しでかしちゃう。
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そういう時は間違いなく、自分の中から
なにか「外」で獲得したものを持ち出して
アピールしている感覚がある。
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普段は自分の「内側」にあるものを、
わざわざ取り出して見せびらかしている感覚。
伝わりますでしょうか?
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そんな時は、自分自身でも
なんかモヤモヤ感というか、
自分自身の力が弱くなっていく感というか
スネ夫感がある。
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で、
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いつも自慢たらしい印象を受ける人は、
その「外ものを取り出してアピール」を
自然に、無意識に、呼吸するように
もはや何のためらいもなくやってる。
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自分の「内」にあるものって、実は自慢できない。
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自分の心臓を取り出してみることができないように。
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自分の姿を(何も使わずに)
自分で見ることはできないように。
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なので、自慢できるのは、常に「外」のもので、
どこかから「お墨付き」をもらっているものに限られるのだ。
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それが学歴であっても、
経済力であっても、
職業であっても、
知識であっても。
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あるいは「神から選ばれている」的なものであっても。
自分じゃない何ものかに依存している状態なわけだ。
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つまり、「自信」じゃなくて、「他信」というわけだ。
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中には
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「自分ができること能力自慢」
「自分の性格自慢」
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みたいな人もいるけれど、それも
誰かに認められた(か、認められたと勘違いしている)
「お墨付き」を
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「ほら、こんなにピカピカしているでしょう?」
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と、「取り出して」見せびらかしているから
「なんかウゼぇ」という腐臭を感じるのだ。
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そう。
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謙虚な人は、自分で自分を支えているので
何かをアピールする必要がない。
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わざわざ言う必要がないのだ。
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そんな人は、仮にちょっと自慢に
聞こえるようなことを言ったとしても
まわりからは受け入れられる。
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それは、真の自信が
かいま見えるからなのだろうね。
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さてさて。
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「偉そうな人は、実は自信がないんだ」
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みたいなことって言われるけれど、
自信って「内」にあるものだから、
見せることってできないんだよ。
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取り出して、見せることができる時点で、
それは自信じゃないのかもしれないね。
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ワタクシ個人的には、
この「あえて取り出している感覚」になる時を
できるだけ減らしていきたいと思うのでありんす。
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自分で立てなくなっちゃうのは
つらりんなので。
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まぁ、やらかしちゃうんだけれど。笑、
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ではでは。
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