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なお、宇宙はやさしいと仮定する。

昨年の11月から「算命学」という
占いを勉強させていただいている。
 
 
学びを深めていけばいくほど、
 
「えっ?マジで?当たりまくっているんですけど?」
「あの時は、ああいう星回りだったのかぁー!!」
 
と、後頭部を大谷翔平さんのフルスイングで
かっ飛ばされているような衝撃を受けまくっている。
 
控えめに言って、どちゃくそにハマっている。
 
 
その中で、 
学びの足跡をひとつひとつ踏んでいくごとに、
 
 
「ああ、どうやら、宇宙は、やさしい」
 
 
という実感を持つに至っている。
 
 
 
どういうことか?というと。
 
 
例えば、私なんかは
 
「若い頃は一般社会で常識を学び、
 その後、自分自身の道を歩み始める」
 
という星のもとに生まれている。
 
 
これなんか、まさにその通りの人生なので
 
「バグで、まぐれ、認めねゼッテー
 マジで?コレおま…天の裁きで?」
 
と相変わらず脱皮してる毎日を送っている。
 
 
 
でだ。
 
 
正直言って、社会人になってからの10年強は
今の自分にとっては無駄な苦行でしかなかったし、
 
「若い頃から今の道に進んでおけば…」
 
と、ほろ苦い後悔をしている自分もいたりする。
 
そして、私に「一般社会人」を強制した父親に対し、
ネガティブな感情を抱いたこともあるし、
今も完全に払しょくできていると断言はできない。
 
 
しかし。
 
 
この「若い頃に一般社会を知る」という過程を踏まなければ
今の自分は成立していない、と算命学は示すのだ。
 
だとしたら、その「強制役」として
父は私の人生の舞台に登場してくれた、と考えるのであれば、
まるで世界の見え方と解釈は変わってくる。
 
 
 
また、「この年は人が離れて行きやすい」的な
読み方もできる年には、振り返ると
きっちり生真面目に人が離れていっていたりする。
 
それも、当時の私の感情からすれば
 
「なんで、あの人が離れていくんだろう?」
 
と寂しく思うこともあったと記憶しているし、
その過程では相手に対してポジティブな気持ち
ばかりでもなかったのが正直なところだ。
 
 
だがそれも、「離れて行く役」をしてくれた
その人がいたからこそ、と解釈することもできるし、
もっと言えば、なんなら何年も前から私自身が
その人と「離れるために」仲良くしていったとすら考えられる。
 
 
 
そして。
 
 
ここまでは、私だけの視点で見ていたけれど
もちろん私は世界の1粒であり、中心ではない。
 
なので、それぞれの人が
 
「自分が主人公の舞台を完成させるため」
 
に、様々な配役の人と出逢い、そして別れているとするなら
それはそれは壮大な神秘を感じずにはいられない。
 
 
私も、誰かの舞台の上では「敵」だろうし、「裏切り者」だろう。
あるいは「メンター」かもしれないし「通行人A」かもしれない。
 
 
それぞれが、それぞれの舞台を
知らず知らずのうちに作っている。
 
とするならば、それは人間社会だけにとどまらないだろう。
 
 
石は石として。
 
草木は草木として。
 
虫は虫として。
 
雲は雲として。
 
地球は地球として。
 
 
自分の役割を果たし、何かと出会い、別れ、
生きて、終えてゆく。
 
 
そのスケールで考えた時、
 
「宇宙は、やさしい」
 
というように、なぜか湧き上がってしまうのだ。
 
 
役割のないものは存在せず、
「弱い」ものも「強い」ものも生きられる。
 
そして、その役割を
「まっとうしない」ことも許されている。
(少なくとも、表面意識上は)
 
 
それは「やさしい」と表現する
ことのように思うのだ。
 
 
 
さてさて。
 
 
今回は算命学から派生した話をしたので、
読みようによっては
 
「すべては宿命や運命で決まっている」
 
みたいな主張に感じられたかもしれないが
私自身は、別にそういうわけでもない。
 
 
いや、正確に言えば
そういうわけでもあるし、そういうわけでもないが。
 
 
今回、お伝えしたいことは、
何かがあった時に、
 
「なお、宇宙はやさしいと仮定する」
 
という基点からスタートして物事を解釈すると、
今とは違った見え方も手に入れられるかもよ?
ということだ。
 
 
今、つらい状況にあったとしても、
過去、許せない人がいたとしても、
それがあなたの「舞台の完成」に必要なことだったとしたら?
 
 
逆境や挫折のない
ヒーローやヒロインの物語はつまらない。
 
立場や意見の違いがなければ、
物語は紡がれることはない。
 
 
「あるところに おじいさんとおばあさんが住んでいました。
 二人は生まれた時から いつまでも幸せに暮らしましたとさ」
 
という物語はない。
 
 
最終的に、自分がどんな役割を果たすのか?までは
宇宙はたぶんきっと、決めないでいてくれる、と思う。
 
 
だから、
実際はどうかは分からないけれど、
 
「宇宙は、やさしいと仮定するならば?」
「そして、全部が全部は、決まっていないとするならば?」
 
という問いを自身に投げかけることで、
今よりもちょっとごきげんに、未来を迎えに行けると思うんだ。
 
 
ってなわけで。
 
 
ではでは。
 
 
 

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