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ブロックあそびで、なに作った?

むかし遊んだおもちゃのひとつに、
ブロックってあったよね。
 
シンプルなパーツを組み合わせていって、
さまざまな形を思うまま作っていくおもちゃ。
レゴとかが、一番ポピュラーなのかな?
 
 
ある時は、家になり、
 
ある時は、ロボットになり、
 
ある時は、動物になり、
 
ある時は、車や船といった乗り物になる。
 
そのバリエーションは、
想像力の膨らむかぎり、無限だ。
 
 
 
ひとつひとつのパーツは
四角かったり、平べったかったりする
シンプルな部品だ。
 
でも、それを組み合わせることによって
数え切れない夢を見させてくれる。
 
 
 
そして、個人的には
人に物語を語るストーリーテリングも、
ブロック遊びと同じだなー、と思うんだよね。
 
 
個人が持つひとつひとつのエピソードや、
知識や、体験なんかは、よほど特別なものでない限り
他の人と大して変わらない。シンプルなものだ。
 
 
日常で体験したこと。
 
旅行に行った時の話。
 
ある本で読んだこと。
 
人から聞いた話。
 
 
そのどれもが、ほとんどの人も体験できるようなもので、
ブロックと同じように、シンプルで平凡なものの
集まりでしかない。
 
 
ただ、ストーリーを語る人は、
シンプルな体験、平凡な話をうまく組み合わせて行き、
積み上げて行く。
 
 
そして、いつの間にか平凡だった
普通の体験、エピソードの集合体から、
聞き手に信じられない夢を見させてくれるようになる。
 
 
 
いいストーリーテラーは、
ブロックを組み立てるのが上手い人と同じように、
 
「どこに、どういうパーツ(=エピソード)を
 組み合わせればいいのか?」
 
「この組み合わせが、全体から見たら
 どんな風に見えるようになるのか?」
 
ということを構築するのが上手い人だと思う。
 
 
 
 
私の友人の中には、この「ストーリーを語る」というのが
非常にうまい人も多い。
 
彼ら彼女らは、聞き手に対して様々な夢や未来を語る。
 
そのストーリーを聞いた結果、
語られた夢や未来を現実化させてゆく人も現れる。
 
 
いいストーリーには、人の未来を変える力が備わっている。
 
そんな、いいストーリーを語れる人たちは、
かけがえのない価値を持っている人たちだと思うんだよね。
 
 

 
無粋な人は、ブロックで作られた作品を見て、
 
「でもこれ、バラバラにしたら、単なる四角いパーツでしょ?」
 
なんて言って、自分が見られるはずの夢を
自らの手で壊してしまう。
 
 
 
同じように、ある人は、素敵なストーリーを聞いても
 
「それって、話し方で騙されそうだけど、
 そんなに大したこと、言ってないよね?」
 
「それ、今までどっかで聞いたことの寄せ集めじゃない?」
 
なんて言って、組み立てることの努力に目を向けずに、
自分が見られるはずの夢を、自分から覚めさせてしまう。
 
 
 
 
私たちは、 
語られるストーリーの中に
「未来の現実」を見出して行動することもできる。
 
 
逆に、
 
「そんなのパーツの寄せ集めで、
 実際は大したことないよね」
 
と、冷めた見方をして、賢い自分に酔ったまま
現状を何も変えないということも選ぶことが出来る。
 
 
個人的には、いいストーリーであるならば、
たとえ一部は「騙されて」いるのだとしても、
素直に聞く心を持っていたいなぁ、と思う。
 
シンプルなパーツの組み合わせの中に、
たくさんの可能性を見出して、
夢を追えるような人の方が「賢い」と思うんだよね。
 
 
あなたは、どう思う?
 
 
 
あなたが、平凡な日常の中にも
素敵な冒険物語や、ロマンスストーリーを見出せますように。
 
 
素敵なストーリーを語れる人に、敬意を表しつつ。
 
 
ではでは。

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