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コンプレックスは、どんなかたち?

あなたは、自分のコンプレックスを
どんな道具にしているだろう?
 
 
誰だってコンプレックスはある。
私なんかは、コンプレックスの塊だ。
 
 
だから、
コンプレックスがあること自体は、
何の問題もない。
 
むしろ、人間として生まれ、
ある程度の年輪を重ねてくれば
当然、向き合うことになる。
 
 
 
問題は、コンプレックスがあることじゃなくて、
そのコンプレックスを、
 
「どんな道具にしているのか?」
 
という事だと思うんだよね。
 
 
 
「道具って?どういう意味?」
 
と、思うかもしれないけど、
つまり、こういうこと。
 
 
 
 
 
 
自分のコンプレックスを、
「鎧」にしてはいないだろうか?
 
 
自分の心を守るため、
自分が傷つかないために、
 
コンプレックスを逆手にとって
自分を正当化する「鎧」として使っている。
 
 
「私は運動神経がないから、それはできない」
 
「私は頭が良くないから、それは無理だ」
 
 
他にも、容姿、学歴、職業、親、友人、
経済、過去、などなど。
 
全てのものがコンプレックスとなり得るし、
全てのコンプレックスを、「鎧」とすることができる。
 
 
でも、
それは、やめた方がいいと体感している。
 
 
その鎧は、
自分を守ってくれているように見えるけれど、
実は、
 
自分の成長を妨げ、
 
心身を蝕み、
 
自分を小さな人間に押し込める
「棺桶」になってしまう。
 
 
 
 
 
自分のコンプレックスを
「剣」にしてはいないだろうか?
 
 
自分が傷つかないために、
自分以外の相手を攻撃するために、
 
自分のコンプレックスで、
他の人を切り裂いてはいないだろうか?
 
 
「お前のやっていることなんて、無駄だよ」
 
「そんなことやるなんて、信じられない」
 
 
他の人が努力している時に、クールを装って、
相手のやる気を削ぎ落とし、
相手のハートをえぐるような使い方をしていないだろうか?
 
本当は、自分のコンプレックスが
浮き彫りになることを恐れているのに、
相手を攻撃することにコンプレックスを使っていないか?
 
 
それもたぶん、やめた方がいいんだろう。
 
 
その剣は、相手を切り裂き、
自分を攻撃する人を倒しているように見えるけれど、
実は、
 
自分のコンプレックスをより増大させ、
 
自分自身を傷つけ、
 
自分と相手を破滅させる
「核爆弾」になってしまう。
 
 
 
 
 
自分のコンプレックスを
「レンズ」にしてはいないだろうか?
 
 
自分の価値観というレンズを通して
物事を見て、判断して、安全地帯を作る。
 
見るもの、聞くもの、触れるもの、
全てを「自分のコンプレックスを刺激しないか?」
という基準で価値判断する。
 
 
「今の日本は、間違っているね」
 
「○○反対!」
 
 
純粋な、素の自分で見た時とは違う、
コンプレックスというレンズ、
フィルターを通して世界を判断する。
 
「自分は間違っていない」
という立場だけで、自分の身の回りに起こる
全てのことに接する。
 
そのレンズを作っているものは、
自分のコンプレックスだったりしないだろうか?
 
 
それもおそらく、良い道具ではないかもしれない。
 
 
そのレンズは、世界の真の姿を映し出し、
ベストな判断をサポートしてくれるように見えるけれど、
実は、
 
自分のコンプレックスを、さらに歪ませ、
 
人としてのありようを忘れさせ、
 
いつしか自分の姿すら分からなくなる
「歪んだ鏡」になってしまう。
 
 
 
 
 
 
 
「じゃあ、どう使えば、どう向き合えばいいの?」
 
「自分のコンプレックスは、どんな道具なの?」
 
 
答えは一つじゃないだろうし、
人によって、さらにはその人の「今」によっても
違うかもしれない。
 
 
でも、その中でのひとつの答えは。
 
「コンプレックスは、薪にする」
 
ってのが、良いと思う。
 
 
 
自分自身を焼き尽くすような炎ではなく、
 
エネルギーとして、くべる薪。
 
 
その薪を燃料にして、
自分という機関車を前に進めてもいい。
 
 
その薪を使って、
他の人にぬくもりを与える
ともし火を作ってもいい。
 
 
その薪を使って、
今日得た糧を料理して、
明日へのエネルギーにしてもいい。
 
 
 
 
 
 
鎧として使っていても、
剣として使っていても、
レンズとして使っていても、
 
そのコンプレックスは、いつまで経っても
なくなることはないだろう。
 
より強固な鎧・剣・レンズとなり、
最後には棺桶・核爆弾・歪んだ鏡になってしまう。
 
 
 
でも、
 
 
自分のコンプレックスを
 
「薪として使おう」
 
とイメージした瞬間から、
そのコンプレックスは燃えだして、
徐々に姿を消していく。
 

 
そして。
 
  
コンプレックスを
薪として完全に燃焼させた時、
 
そのコンプレックスは、
自然の中に溶け込み、
完全に姿を消してしまうに違いない。 
 
 
そんな風に思うんだよね。
 
 
 
 
 
ちょっと、比喩的表現に偏ったけれど、
いかがでしょう?
 
 
私自身は、つい自分のコンプレックスを
鎧にしたり、剣にしたり、レンズにしてしまう。
 
 
そんな時に、ちょっとでも立ち止まって
 
「あれ?薪として使ってもいいかもな」
 
と、思える私になっていきたいものですわ。
 
 
ではでは。
 

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