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ビジョンとは○○である

この言葉を聞くと、ワクワクする気持ちにもなるし、
逆に銃口を突き付けられるような、
ドキリとする気持ちにもなる。
 
 
自分が属している組織のリーダーや、
政治家たちには、
 
「もっと明確なビジョンを示してほしい!」
 
と願う割には、
自分の日々の生活を振り返って見ると
大したビジョンを打ち出していないなぁ、と反省する。
 
 
 
ビジョン、もしくはミッションと言ってもいいけれど、
それを明確に持っていて、そのビジョンや
ミッションにむけて行動している人は、美しいよね。
 
 
な~んて思っていたら、
昨日、ある友人が、ビジョンについて
とあるひと言を教えてくれた。
 
 
その友人は、以前は
誰もが知っている企業に勤め、
社長の側近的な立場で働いていた。
 
 
ところが、様々な経緯を経て、
 
「自分がやるべきことは、他にある」
 
と、安定した生活を捨てて
起業を果たした人だ。
 
 
もちろん、起業した後も
様々な苦労や紆余曲折があったのは
間違いがない。
 
 
しかし、自分が信じた道、
「これを世に広めるんだ」と決めた
ビジョン、ミッションに従って、今も頑張っている。
 
 
その結果、その友人を慕う人は
次から次に現れ、起業した当初よりもはるかに
素晴らしい人間になっている。
 
 
 
 
 
 
そんな友人と話している時に
本当に自然に、ポロリと
友人の口からこぼれ出した言葉。
 
 
 
それは、
 
 
「見ようとしたのではなく、見えた」
 
 
 
それがビジョンなんだそうだ。
 
 
 
けっこう、頭をガーンと殴られたような
衝撃を感じたんだけれど、
あなたはどう思う?
 
 
 
 
 
今までいろんなことを勉強してきたり、
本を読んだりしているうちに、
 
「ミッション・ビジョンというものを
持っていたほうがいいんだろうな」

と思ってきた。
 
 
そして、ミッションやビジョンに沿って
生きている人のことを、ちょっとした
羨ましさで見ている自分もいた。
 
 
 
で、
 
「私のミッション・ビジョンって何だろう?」
 
 
と、結構長い時間、深く深く考えたりもした。
 
 
でも、そうやってミッションやビジョンを
探せば探すほど、手から砂がこぼれおちていくように
自分の使命は見つけられないまま時間が過ぎて行った。
 
 
 
そんな中聞いた友人の「ビジョン観」。
 
 
 
「見ようとしたのではなく、見えた」
 
 
 
たぶん、それが真実なんだろうな、と思う。
 
 
追いかけているうちは
自分の使命とかビジョンなんてものは
決して見えないのかもしれない。
 
 
ある時、本当に降ってくるように
「見える」ものなのかもしれないね。
 
 
 
なので、
 
もしいまのあなたが
 
「自分の使命ってなんだろう?」
 
「ビジョンを明確に示せ、って言われても…」
 
なんて思っている部分があるのだとしても、
無理矢理見つけなくてもいいのかもしれない。
 
 
 
ある時、急にパズルのピースが組み合わさり
一枚の絵になるように、
あなたのビジョンが見える時がくるだろう。
 
 
 
それまでは、パズルのピースを集めるように
せっせと毎日を過ごしてみる、
なんていうのも、いいのかもしれないね。
 
 
 
「見ようとしたのではなく、見えた」
 
 
あなたには、この言葉は
どんなふうに感じられましたか?
 
 
ではでは。

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