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最近の若者

現代の20代後半の人に
 
「30代後半になっても、思ったとおりに
 管理職に昇進しなかったらどうしますか?」
 
とアンケートをとったところ、
 
 
 
 
1位「昇進には興味がないからどうでもいい」
 
2位「仕方がないと割り切る」
 
3位「あきらめる」
 
だったそうだ。
(4位以降は「頑張りなおす」「転職」などの意見もある)
 
 
 
これを見て、あなたはどう感じるだろうか?
 
 
私個人的には、
 
「これは、いい徴候かも」
 
と、ポジティブにとらえている。
 
 
 
日本の長い歴史の中で、全員がモーレツに頑張って
出世を目指した時代というのは、ごくごく限られた時だ。
 
戦後の復興の時くらいなもので、
たかが数十年といったレベルだろう。
 
あとは、戦国時代の秀吉なんかは立身出世を目指したけれど、
当時の日本全体の人口からすれば、
レアな存在だったんじゃないかな?
 
 
 
いわゆる「昇進」「出世」というのは、
属するコミュニティの権力者サイドが、労働者サイドに提供している
「ぶら下げられたニンジン」という側面がある。
 
 
その「ぶらさげられたニンジン」が効果を発揮するためには、
数々の条件がある。
もちろん、権力者側が負うべき責任もある。
 
 
それなのに、
 
権力者側が、終身雇用を守れなくなりそうだ、という都合で
 
「これからは、個人の時代」
 
「個人の能力を発揮していこう!」
 
を発信しだした。
 
 
 
そこで、すでに「出世」「昇進」という伝家の宝刀は
錆びがつきはじめた事に気付くべきだろう。
  
 
「自己責任の時代に変わったよ」と言いながら、
 
「でも出世は目指すべきだ」
 
「最近の若者は、覇気が足りない」
 
なんて言うのは、「いいとこどり」しようとして失敗した
ワガママな老人の言い分だ。
 
 
 
若者は見抜いている。
 
個人の時代の到来と、昇進・出世の矛盾点を。
 
 
 
 
 
今回のアンケートの結果だけでは、
今後の日本の若者たちがどうなっていくのかは分からない。
 
 
でも、次の段階として、
 
 
「出世や昇進を目指さないんだったら、
 私は何を目指しているんだろう?」
 
「個人の時代と言うならば、
 私という個人の幸せは、どう体現していけばいいんだろう?」
 
 
と考え、覚醒していく人たちが
たくさん出てくるんじゃないか?と
信じてやまないんだよね。
 
 
 
むかしむかし、陸軍将校の息子が、陸軍学校に
エリート入学することを勧められた。
 
そんな時代、商才に長けているなんて能力は、
バカにされる能力でしかなかった。
 
それが、どう変化している?
たかが数十年前の話だ。
 
 
 
ならば、
 
今、ニートと呼ばれている人が、
次の時代を担うエリートにならない、なんてこと、
誰が断言できるだろう?
 
 
ニートは、よく言われる。
 
 
「楽観的じゃない。ネガティブ」
 
「コミュニケーションが苦手」
 
「自分と同じ価値観の人とは、つながる」
 
「自分の世界に没頭する」
 
「細部にこだわる」
 
「誰にも見向きもされなくても、
 自分の好きなことは、徹底的に研究する」
 
 
 
でもこれって、技術立国日本を支えてきた、
職人さんたちの気質と、どこが違うんだろう?
なんて思うんだよね。
  
 
日本を信じて。
 
 

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