日々生活していると、
いろんなことで「迷うこと」って、あるよね?
今日は、何を食べようか?
というささいなレベルから、
転職しようか?やめようか?
という一大決心もあるだろう。
そんな迷いを繰り返していると、
「あー、なんでもパッパと決められる、
迷いのない人は、かっこいいなぁ」
とか、
「葛藤がない人が、うらやましいなぁ」
なんて思う時もあるかもしれない。
たしかに、
「迷いがない」
というのは、カッコいいイメージだし、
決断力がある素晴らしい感じもする。
でも、
迷いがないなんて、実は非常にもったいないことだ。
これまた、年末、友人がおこなったセミナーで
学んできた話なんだけれど、
「迷いがない」
ということは、自分の生きるステージが
いつまで経っても変わらないということだ。
同じ思考、
同じ行動、
同じ人間関係、
同じ自分。
その状態をグルグル回っているだけなので、
実は成長しにくい。
「Aにしようか?
それともBにしようか?」
という迷いがあるからこそ、
人は自分のステージを変えていける。
迷いがない、ということは、
ものごとを1つの視点でしか見ていないということでもある。
逆に、迷いがある、ということは、
自己対話を深めている、ということでもある。
自分と深く向き合って、自分と対話する。
そんな時がない限り、
人はステージを上げることはできないと思うんだけれど
あなたはどう思うだろう?
「Aにしようか?
それともBにしようか?」
そういう迷いの結果、どちらを選ぼうとも
「迷ったあげく決めた」
ということ自体が、価値があると思う。
また、
「AでもBでもない、第三の道」
を思いつくためには、かならず
AとBが必要で、その熟慮があるからこそ
今までの自分では考えもつかなかったアイディアが生まれる。
そんなもんだよね?
自分の意見と違う人がいるから、
あらためて「自分の意見」というものを
浮き彫りにすることができる。
それは、自分一人でも同じ事だ。
「Aの方が良いと思う自分」
と、
「Bの方が良いと思う自分」
がいるからこそ、
Aの良い部分と悪い部分、
Bの良い部分と悪い部分、
その両方が見えてくる。
迷うことがない、なんて言うのは、
「私は、ずっと同じステージで
ハツカネズミみたいにクルクルしています」
と言っているのと同じで、
実は決してカッコいいことではない。
大いに悩み、大いに迷い、
頭が痛くなるような経験をしている人こそが、
実は自分のステージを変える機会を得ている人なんだなぁ。
なんて思う次第。
もちろん、ずーっと迷っているだけで行動しないのは
それはそれでもったいない。
でも、
「なんで私は、いつも迷っちゃうんだろう?」
なんて自分を卑下するなんて、もっともったいない。
お互い、迷って迷って、
ステージを変えるチケットを
どんどん手に入れちゃいましょうや。
ではでは。