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平等の威を借る傲慢。

先日、フェイスブックを見ていると、
気になる投稿があった。
 
 
友人が厚意で子供たちの部活動の写真を撮ったところ、
その保護者の何人かが
 
「写真は、すべての子が平等に写っているべき」
 
とか言い出しているとのこと。
 
 
はいダウト。
 
文句言ってるその保護者、めっちゃダウト。
 
ウソつけ!
 
 
「平等に撮って欲しい」じゃなく、
 
 
「ウチの子をひいきして撮って欲しい」
 
 
だろ?
 
 
もう「さん、はいっ!」と言いながら
リピートアフターミーで言い直してもらいたいレベルだ。
 
 
 
ワタシは、基本的に「平等」がキライだ。
 
がんばったらひいきしてほしいし、
ひいきされるためには「対価」がある、と思っている。
 
 
「平等」を声高に求める人で、
人一倍努力している人を、私は見たことがない。
 
(自分ががんばって、その配分を
 分け隔てなくしようとする人は別。
 それは「求めて」ないからね)
 
 
「この世は不公平だ!
 平等じゃないとおかしい!」
 
という人は、
 
「私が損をしているのはおかしい!
 私はもっとひいきされるべきだ!」
 
という傲慢を、「平等」という
大義名分っぽいものを掲げて叫んでいるに過ぎない。
 
、、、と思っているんだけれど
それは私がゆがんでいるのだろうか?笑。
 
 
 
そんなに平等が好きなら、
全世界の人の生活水準を平均化してみ?
 
確実に、日本に住んでいる人の生活水準は下がるけれど、
それでいいんやな?ホンマやな?
 
と言いたくなる。
 
 
 
「世の中は不公平だ!」
 
そうだよ、有史以来そうだよ今さら何言ってんだよ。
 
 
「平等じゃないとおかしい!」
 
へぇ~。
 
で、その「ものさし」は、どこが境界線?
 
サークル内?会社内?
日本国内?男女?世界?人間だけに限るの?
 
 
世界に存在するすべてのものが
同じ「ものさし」の上で平等になったら、
その瞬間、世界は破滅するぜ?
 
森羅万象には、その「役割」があり、
その役割を超越して「同じ扱い」を求めたら、
この世の中に「存在」は、なくなるぜ?
 
 
。。。まぁ、そんな理屈っぽい
ハナシじゃないんだろうけど。笑。
 
 
 
なので。
 
 
無茶な平等を求める人がいたら、
 
 
「私は楽をしたいです。
 おいしいところだけチューチューしたいです」
 
 
と言っているんだな、と脳内変換していい。
 
 
自分の既得権には触れずに、
何の努力もしないまま、気分良くなりたいだけなんだから。
 
 
 
平等という言葉を無責任に語る人間を疑え。
そしてその傲慢を軽蔑しろ。
 
平等の言葉の裏に隠れる怠慢を喝破せよ。だな。
 
 
 
 
ちなみに、
ワタシ自身は、ひいきされたい。
 
お金も欲しいし、人気も欲しい。
 
自分と関わった人は、そうでない人よりも
幸せでいて欲しい。
 
だからそのために、今自分ができることをしている。
 
 
「努力は報われる」という垂直的な平等と
「全員が同じ」という水平的な平等は
常に矛盾する問題をはらんでいる。
 
そして、そのどちらの平等も、この世の中にはない。
 
いや。だから、がんばるんじゃねぇの?
 
 
と思っているんだけれど、いかが?
 
 
 
 
普段から私は
 
「人は、どう生きてもいい」
 
と言っているし、本当にそう思っている。
 
 
しかし、
 
「その生きたあり方の結果は、
 本人が責任を持とうね」
 
というのと、セットだ。
 
 
「文句だけ言って
 おいしいところはチューチュー教」
 
の信者であることは自由だけれど、
その結果、幸せになることは難しいんじゃないかな?
と思っている。
 
 
      
だから。
 
 
もう、スルーだよスルー。
 
 
平等を叫ぶやつは、スルー。
 
華麗にスルー。
 
気軽にスルー。
 
 
 
少なくとも、
  
「平等は正義」という人よりも、
「がんばってるからひいきして!」という人を
ワタシは応援する。笑。
 
 
応援者はいるよ。
 
がんばれ!!
 
 
 
 
ではでは。
 

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