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超能力<常能力。

一人一人、様々なスキルや才能を持ってるやん?
 
 
ある人は歌が巧みだったり、
 
またある人はお料理が上手だったり、
 
楽器を奏でる、写真を撮るのが得意だったり、
 
絵を描くのが天才だったり。
 
占いがすごいとかもある。
 
 
また、
 
お金を稼ぐ能力に長けていたり、
 
特殊な資格を持っていたり、
  
事務能力がバツグンだったり、
 
家事が全般的に得意だったり。色々だ。
 
 
みんながそれぞれの得意なことを発揮して、
誰かの役に立っている。
 
そして、自分の強みである才能を伸ばしたり、
スキルアップに励むのも、とても素晴らしいと思う。
 
 
 
その上で。
 
 
実のところ、例に挙げたようなスキルって、
分かりやすい「能力」だけれど、
人生全体を俯瞰すると、
それほどのことじゃないかもしれない。 
 
 
 
「技術的・技能的に何かができる」
 
というのも、もちろん大切。
 
 
ただ、そういったアクティブな能力は、
物的には私たちを豊かに導いてくれるけれど、
もう1つ、まったく違ったベクトルもあるのだろう。
 
 
 
今まで書いてきた
 
「意識すると発揮できる、自分の秀でた力」
 
を、アクティブスキルだとすると、
 
 
「無意識でいつでも発動している自分の力」
 
という、パッシブなスキル。
 
 
 
たとえば、
 
 
いつもニコニコしている、とか、
 
その人がいるだけで穏やかな気持ちになる、とか、
 
なんか面白い、とか、
 
その人の前だと本音を言いやすい、とか。
 
 
 
もう少し広くとらえるならば、
 
 
気がつくと整理整頓している、とか、
 
いつも妄想している、とか、
 
困っている人がいたら意識せず助けちゃう、とか、
 
相手の感情を汲んでしゃべってる、とかも。
 
 
 
そういった 
 
「意識しないで発動」
 
という無自覚スキルも
アクティブスキルと同等かそれ以上に大切なはずだ。
 
 
 
アクティブスキルは、目立つ。
そして、「使える」かがハッキリと分かる。
 
いわば「超能力」だ。
 
 
それに対して、パッシブスキルは目立たない。
 
本人も意識しないし、
本人以外も、それで恩恵を受けているとは
ふだんはあまり気にかけない。
 
言うなれば「常能力」だ。
 
 
 
ただ、そういった、
 
「発揮しようと意識することがないのに、
 いつのまにか自然に発動しちゃってる」
 
という常能力=パッシブスキルこそが、
出会って仲良くなる人を決めていて、
人生の心的な豊かさを決定しているようにも感じる。
 
 
 
アクティブスキルは、手に入れたいと意識し、
学んだり努力すれば、「技能そのもの」が手に入る。
 
もちろん、才能などもあるから
すべてとは言えないけれど、少なくとも
努力しなかった人よりも秀でることはできる。
 
 
しかし、
 
パッシブスキルである常能力は、
幾重にも折り連なった経験から、
その人が無意識で獲得してきたもの。
 
なので、「ああいう風になりたいな」と思っても
なかなか手に入れることはできない。
 
 
そういう意味では、アクティブスキルよりも
スーパーな能力なのかもしれないね。
 
 
 
さてさて。
 
 
ワタシなんかは、すぐ
「分かりやすく」「使えて」「周囲からも認められる」
アクティブスキルを欲してしまう。
 
 
そして、できることなら
 
「超能力者」
 
としての自分でありたいとも思ってしまう。
 
 
 
でも、おそらく「超能力」だけでは
人は幸せになれない。
 
 
それよりも、いつも自分が意識していない
パッシブな「常能力」こそが、
人としての幸せにつながっていくような気がする。
 
 
だって、
 
「○○ができる人」
 
という理由だけで構築されている縁は、
きっと空虚なものだろうから。
 
 
 
まぁ、パッシブな常能力をみがこうと意識した瞬間に、
それはパッシブではなくなってしまうから難しいのだけれど。
 
 
あなたの「常能力」、
それが素敵。
 
 
ではでは。
 

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