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ご機嫌でいる筋力。

「幸せでありたい」と思うのは、
誰でも共通しているだろうけれど、
実はそれって、けっこうムズい。
 
というのも、基本的に
「陰」には、引力があるからだ。
 
 
 
ダークな、ネガティブなことは
人を引き寄せ、飲み込もうとする力がある。
 
一見、ダークなことに見えないようなことも、
「欲」がからむものは、人を引きずり込む力を持つ。
 
 
 
なので、
 
基本的にボーっとしていると、
世の中で起こるダークな、ネガティブなことに
心は引き寄せられてしまう。
 
 
「勉強の結果だ」
「こちらが真実だ」
 
と正論ぶっていたとしても、
陰と欲に飲み込まれた状態だったのならば、
そこを起点に幸せになることは極めて難しい。
 
 
 
 
反対に。
 
明るい、ポジティブな
「陽」のエネルギーは基本、人をはじく。
 
 
明るいものに触れた時、
引きずり込まれるような感覚にはなりにくい。
 
それよりも、なにか自分ごとではないような、
地に足がつかないような感覚に見舞われる。
 
それは元来「陽」のエネルギーは
そういうものだからだ(と、思う)。
 
 
 
そう。
 
 
「陰」は引きずり込む引力を持ち、
「陽」は人をはじくような斥力を持つ。
 
 
普通にしていたら、
人は易きに流れ、染まる。
 
 
 
だから。
 
 
幸せになるためには、
 
「陰」から目をそらすのではなく、
陰とも向き合いながら、
その引力に耐え、踏みとどまる。
 
 
そして「陽」の
はじく力に吹き飛ばされるのではなく、
自分ごとにし、にじり寄る。
 
 
そんな「ご機嫌でいる筋力」が
必要になるのだと思う。
 
 
 
 
え?なにが「陰」で、なにが「陽」か
わからない?
 
いやいや、そんなことはないやろ?
 
 
不安、嫉妬、欲、興味本位、、、
 
そんな時に感じる、自分の中の陽の声が
次第に小さくなるような「引力」、
それが陰だし、
 
 
感動、克服、好意、美、、、
 
そんな時に感じる、自分の陰が
照らされるような「気恥ずかしさ」、
それが陽なのだろう。
 
 
 
 
どんなに賢そうにしていても、
「ご機嫌でいる筋力」が弱ければ、
何かに飲み込まれ、そしてはじかれている。
 
 
「仕方ない」
「誰それのせい」
「あなたと私では環境が違う」
 
それはその通りなのだけれど、
「ご機嫌でいる筋力」があれば、
そうでない見方もできるかもしれない。
 
 
 
また、どんなにポジティブなそぶりをしていても、
単にネガティブなことに蓋をして
逃げているだけでは「筋力」は育たない。
 
陰の引力・重力につぶされずに自分を支え、
陽の上っ面ではなく核心に入り込む。
 
そんな「筋力」が必要なのだろう。
 
 
 
生きていくためには
陰も陽も必要だけれど、
飲み込まれたり、はじかれ続けるのは
本質ではないのだから。
 
 
 
さてさて。
 
 
世の中、いろんなことが起きるし、
これからは、もっともっといろいろ起きるだろう。
 
 
 
その時に、ご機嫌でいられる。
 
 
 
陰の引力をしのげる。
陽のはじかれに飛び込める。
 
そんな筋力を持っていたいものですわよね。
 
 
ではでは。
 
 

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