「批判を恐れずガンガン進め!」
みたいなメッセージありますやん?
まぁ、たしかにそういう側面もあるのだけれど
個人的には、字面どおりに受け取ると
大変な勘違いヤロー&レディになると思う。
だって、人様にめっちゃ迷惑かけて
罵詈雑言バイオレンスハザードをしておいて
「これが嫌われる勇気!ドヤァ!」
ってのは、おかしいやろ?
また、何も生産性ないまま怠惰に暮らして
スネをかじりながら「食事と呼吸するだけマン」が
「あなたのままでいいんだよ、って言われたから存在給くれ」
って言うのも一つの生き方だけれど、もったいないやろ?
それと同じように「批判を恐れない」も
受け取り方に注意!の言葉の一つだと思う。
さて、「批判を恐れない」というのは、
「あなたの行動や発信が、
届けるつもりのなかった人にも伝わり、批判されても、
そこで臆することはない」
という意味だと思う。
あなたは何か行動を起こしたり、発信をしている。
その時、あなたは無意識だったとしても
「こんな人に届いたらいいな」
という、受け取り手を想像していると思う。
ただ、行動や発信をし続けていると、
どうしてもこちらが想定していなかった人にも
あなたの言動がキャッチされてしまうことがある。
特に、期せずして普段以上に拡散してしまった時なんかは
「え?そんなつもりの行動じゃないのに?」
「んん?この発信が、真逆の意味に受け取られるの?」
といったことが起こり、とまどいや驚きや困惑や恥じらいや
やるせなさや愕然や自嘲や恋わずらいなどが生まれる生まれない。
で、そういう時は(ってか、そういう時に限り)
「ああ、批判されちゃったけれど、
想定以上の人に届いちゃったんだな」
と考え、今後の糧にはするものの、
落ち込んだりはしないでいいと思う。
もちろん、頂戴した批判には真摯に向き合う。
ただ、それが嫌で、怖くなったからと言って
あなたの発信をやめる必要はない。
もし、
「たしかに、ここは配慮が足りなかったな」
と思うのであれば、今後、気をつければいいことだ。
そして、
「あれ?なんか間違った捉え方されちゃってる?」
「批判というより、悪意?その人の憂さ晴らし?嫉妬?」
と思うのであれば、
「おおお、ここまで発信力が高まったのか―!」
と、相手に華麗に心の中で感謝しておけばいい。
すべての人が「いい!」と思うような発信は、ない。
あるかもしれないが、それは
あなたが発信しなくてもいい、どうでもいいことだ。
あなたの魂がっ!行動したいというのなラッッッ!!!!
そのまま進めよ進めばわかるさ。
ただし。
あなたが伝えたいと思っていた人に
「おまっ、、、、、ちょっ、、、、、」
と諫められたのであれば、それは話が別。
そこで「批判を恐れない勇気っ!」となったら
ただの暴走機関車トーマスだ。
ってなわけで、さてさて。
誰だって、批判はされたくない。
ワタシなんか、プラナリアの心臓なんだから
めっちゃデリケートだ。
(あれ?プラナリアって心臓あったっけ?むしろ強くね?)
でも、グワー――――っと行動や発信が認知された時、
あなたを批判する人は出てくるかもしれない。
その時、
「この批判している人は、私の発信を届けたい人かな?」
と考え、そこから行動を顧みればいいと思うぜ。
色んな人がいるから、世の中は世の中なんだから。
、、、、と、この記事に批判が来たらビビるなぁ(笑)
ではでは。