イッツ ユア ゲーム。
たとえばコンピュータゲームをしている時に
分からないことがあるとする。
そこで、
「ここって、どうすればいいの?」
と聞いた時に教えてくれるのは「親切」だ。
でも、
こちらが聞いていないのに、
あれこれアドバイスして来たら、それは横やりだし、
ましてや、コントローラーを奪って操作して
「ほらできた」
とされても、迷惑以外の何物でもない。
そう。
ゲームだと、そんな無茶なことをしてくる人は
(たまにしか)いないが、
これが現実の世界だと、けっこういる。
「こうすればいい」
「ああすればいい」
「これはしちゃダメ」
と、アドバイスをする。
それは、アドバイスしている側としては
親切とか愛情なのだろう。
けれど、
人生というゲームをプレイしているのは、
それぞれ本人だ。
そこで失敗しようが、うまく行かなかろうが、
それを含めて、本人の人生だ。
その失敗から、アドバイザーが予想もしなかった
新しいステージが開けるのも本人次第だ。
もちろん、アドバイスを求められたら
誠心誠意、努めればいい。
けれど、
自分のアドバイスの採用・不採用で
相手との関係性を変えてはいけない。
なぜなら、どんなにアドバイスを求められても
それは「本人の人生」「本人のゲーム」なのだから。
だから。
アドバイスを求める側は、
「イッツ マイ ゲーム」
を忘れず、コントローラーを放り出してはいけない。
そして、アドバイスをする側は、
「イッツ ユア ゲーム」
であることを肝に銘じ、
過不足なく相手の「プレイ」を応援すべきだ。
それが親子であれ、友人であれ、恋人であれ。
ひとつの職務などのレイヤーは別として、
また、完全なるゲームオーバーになるのを
阻止するのは別として、
それぞれの人生の選択、ゲームを尊重したいものだよね。
自戒を込めて。
ではでは。