昨日、仲間たちの集まりで、
初めて聞いた、ほめ言葉があった。
仲間同士で話をしている時に、
メンバーの一人が
ある人を紹介する時に言った言葉で、
「この人は、とっても
自己否定能力に秀でているんだよね」
と、「ほめ言葉」として言ったんだよね。
普通、こんな言い回しは
ほめ言葉には使われないことが多いけれど
なんの皮肉もなく、完全なほめ言葉として
「自己否定能力に秀でている」
と言ったんだよね。
その言葉を聞いて、さらにその後に続く話に
耳を傾けながら
「なるほどなぁ」
と思っていたんだよね。
「自己肯定感を持ちましょう」
とか、
「自分を大切に扱いましょう」
なんてことは、良く言われる。
耳触りのいい言葉だし、
「そうか!自分を肯定できないと
人を肯定することも出来ない!」
「ポジティブ!ポジティブ!」
と、頑張るのも悪いことではないだろう。
ただ、
ちょっと考えてみれば分かるけれど、
「自己肯定感、純度100%」
と言う人は、正直、付き合いにくい相手だと思う。
ギャグマンガに出て来るような、
世間知らずの超お嬢様キャラみたいな人か、
とある国の“将軍様”みたいな感じに
なっちゃうんじゃないかな?
「自分は、何をやってもできる!
だって、私だもん!」
「自分が大好きで大好きで仕方ない!」
「もう、愛さずにはいられない!ラブ俺!」
なんて勘違いナルシストみたいな人には、
誰も自分の大切な話をしたいとは
思わないだろう。
自己肯定感は、もちろん大切なことではあるとは思う、
けれど、実は同じくらい
「自己否定感」「自己否定能力」
も、一方で持ち合わせていたほうがいいかもな。
と、思うんだけれど、あなたはどう思うだろう?
健全な「自己否定能力」を持っていれば、
人に、やさしくすることが出来る。
人の痛みを、自分の痛みにすることが出来る。
自分を冷静に見極めて、計画を立てることが出来る。
「自分は才能がない」と思って、
誰よりもコツコツと、基礎を固めることも出来る。
スポーツの分野でも、
ビジネスの分野でも、
アートの分野でも、
どんな世界でもトップクラスになる人は、
純度100%の自己肯定感で生きていたりはしない。
「自分は、下手くそだ」
「なんて、モノ覚えが悪いんだろう」
「コワイ」
「自分なんて、まだまだだ」
「自分なんて、愛されない」
そんな思いを胸に秘めているからこそ、
たくさんの行動を取り、
たくさんの人が応援をしてくれて、
たくさんのことを成し遂げることが出来る。
だから。
自己否定感を否定するのは、やめよう。
(ややこしい日本語だけれど)
自己否定感がある、ということは
「自己否定する能力に秀でている」
ということだ。
その能力は、あなたに
人とのつながりや、努力の原動力を
もたらしてくれる。
もちろん、
自己否定感に押しつぶされないように
自己肯定感も持っている必要はあると思う。
でも、自己否定感を健全な状態に保てるのならば、
それは、武器になる。
ギャグ漫画の超お嬢様キャラや
“将軍様”みたいにイタいキャラクターになりたいのなら
話は別だけれど、
そうじゃない限り、
自分の中にある「自己否定能力」に
磨きをかけることは、決してマイナスにはならない。
お互い、より素晴らしい
「自己否定能力」を持てるように
がんばろうぜ!(笑)
と、今回の話は、
私を振り返っても、自信を持って言えるなぁ。
私に自己否定感がない限り、
こんな記事を書ける訳もないからね(笑)
ではでは。