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人生を謳歌する友人が語る、「愛とは●●」

友人から聞いた、興味深い「愛」の定義。
 
 
 
 
先日、友人と飲んでいた。
  
 
その人は、
 
「もっと、たくさんの経験を積みたい!」
 
「もっと、多くの人と出会いたい!」
 
という信念のもと、
 
 
40回以上の転職を重ね、
 
多くの恋も経験し、
 
海外を含めた、たくさんの場所で生活をしてきた。
  
 
という、とてもユニークな人なんだよね。
 
 
 
 
 
「ずいぶんと移り気な人だなぁ」
 
「落ち着きのない人だなぁ」
 
と思う人も、いるかもしれない。
 
 
 
けれど、本人は
 
「自分の情熱を信じて行動することこそが、
 生きている証だ!」
 
と言わんばかりにエネルギッシュに
毎日を過ごしているわけだから、
そんな生き方でまわりを元気にする人がいるのは、
むしろプラスだと思う。
 
 
 
 
で、
 
 
そんな友人が、帰り際、ふと
 
 
「愛とは何でしょう?」
 
 
というテーマをぶつけてきた。
 
 
 
私は、
 
「おいおい、そんな興味深いテーマを
 帰り際にふるなよ!」
 
 
 
とも思ったんだけれど、
 
好奇心のおもむくままに生きている友人が定義する
「愛」について聞きたくなったので、
友人が語る「愛」について、耳を傾けた。
 
 
 
 
友人は、こう答えた。
 
 
「愛とは“知ろうとする”ことである」。
 
 
 
“もっと知りたい”と、
相手にエネルギーを傾けること
そのものが「愛」の正体である。
 
と定義したんだよね。
 
 
 
 
“知りたい”とエネルギーや情熱を傾けるのは。
 
 
もちろん、異性であってもかまわない。
 
家族であってもかまわない。
 
友人であっても、
まだ会ったことのない誰かでもかまわない。
 
 
そして、
 
人間である必要ですらない。
 
 
 
自然にある木々や動物たち。
 
人間が作り出したモノの数々。
 
芸術。
 
数式や、無機物。
 
形のない概念であっても、かまわない。
 
 
 
そこに「もっと知りたい」「もっと分かりたい」
と、情熱を注ぐことそのものが
「愛」のかたちである。
 
 
 
逆に、対象が何であれ“知ろうとしない”時には、
愛のエネルギーは、そこにはない。
 
 
無関心であったり、拒否をした瞬間に、
対象への「愛」は、途切れてしまう。
 
 
だから「愛」を示したい時には
相手や対象に“知ろうとする”エネルギーを
送り続ける必要があるのだ。
 
 
 
 
人間も、モノも、概念も、万物すべて、
 
「これで、完全にわかった」
 
というものは、ひとつとして、ない。
 
 
たとえば、極端にシンプルな
 
数字の「1」
 
ですら、完全にわかる、ということは
一生ないだろう。
 
 
 
だから、
 
ずっと、ずっと、ずーっと、
「もっと知りたい」「もっと分かりたい」
とエネルギーを注ぎ続けることは可能だし、
 
エネルギーを注ぎ続けている間は
その対象を「愛している」ということになる。
 
 
 
 

と、友人は説くんだよね。
 
 
 
 
 
「面白い捉え方だなぁ」
 
と思ったと同時に
 
「たしかに、言う通りかもしれないな」
 
と、納得したんだよね。
 
 
 
 
まぁ、私の意見や感想を言う前に
お互い帰る時間になったので
話の続きはまた今度、となったんだけどね(笑)
 
 
 
 
 
 
 
「愛」には、さまざまな捉え方がある。
 
 
当然のことながら、唯一絶対の解答なんてものは
存在しない。
 
 
でも。
 
 
「愛とは“知ろうとする”ことである」
 
 
という解答は、なかなかマトを得ているなぁ
と思うんだけれど、あなたはどう感じるだろうか?
 
 
 
 
どんな対象であれ、
 
もちろんそれがあなた自身であれ、
 
 
変な考えを押し付けたり、枠にはめたりするのではなく、
 
 
「もっと知りたい」
 
「もっと分かりたい」
 
 
と、“知ろうとする”エネルギー、情熱を
かたむけられると、愛にあふれた人になれるのかも
しれないね。
 
 
ではでは。
 

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