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言葉は飲みものではありません。

前回、
 
「“命”という字は
 “人は、一度、叩かれる”と書きますよね」
 
と、穏やかな微笑みをたたえて教えてくれた
スーパービジネスマンの話を書いた。
 
 
それが非常に好評だったので、
今回も、その人が言ったことを書いてみたいと思う。
 
 
「な!?俺ってスゴイ人と一緒に仕事してるだろ?」
 
という自慢というか、
虎の威を借りるプラナリアみたいなものだ。
 
 
 
さて。
 
 
その人の交友関係は、非常に広い。
 
人をレベル分けする訳ではないけれど、
社会的な役割としての、幅広い人との交流がある。
 
年収で言えば、200万円に満たない人もいるだろうし、
億を軽く超える人もいる。
 
ほぼ引きこもり状態の人もいるし(はっ!?それ俺だよ!)、
リアルに国家レベルにダイレクトに影響を及ぼす人もいる。
 
 
そんな、極めて幅広い人たちと会っていて、
その中で、それぞれの人と親しい交流を持てるって、
すごいな!と思うんだけれど、どう思う?
 
私だったら、自分の居心地のいい人たちと
のんびり過ごしてしまいがちなのに、
社会的にどんな人とでも交流を深める。
 
 
その姿勢に舌を巻いて、
また飲んでいる時に聞いてみたのね。
 
 
「ものすごく多様な人たちと交流がありますが、
 どのようにとらえているんですか?」
 
「たとえば、国家クラスの人と私とでは
 話す内容もレベルも違うと思うのですが、
 どうなんですか?」
 
 
ってね。
 
 
彼は私の言った意味を瞬時に理解して、
そしてニッコリと笑って即答した。
 
 
 
「ああ、イグゼロさんは、僕だから」。
 
 
 
来たよ。ほら来たよ。
また大きな衝撃をもらっちゃったよ。
 
 
つまり、彼にとって自分以外に出逢う人間は、
すべて「自分」であり「僕」なのだ。
 
 
電気や水道・ガスを止められて
明日食べるものに困っている人も、
 
国家元首クラスの人も、
 
彼のもとに教えを請いにくる人も、
彼の会社の社員も、スタッフも、私も、
 
 
ぜんぶひっくるめて「僕」なのだ。
 
 
 
そんな風に言う人は、他にもいるかもしれない。
 
でも、
 
 
「完全に素で、マジでそう思っているんだ!この人!」
 
 
と思えたのは、今まで生きてきて彼が初めてだ。
 
 
彼がなんの力みもなくそう思っていることは、
言っている姿を見れば分かるし、
今書いたような意味で言っているのも理解できた。
 
 
 
その言葉を受けて、数秒後、私が彼に返答したのは、
 
 
「咀嚼(そしゃく)します」
 
 
だった。
 
 
彼はまたニッコリと笑い、
そのまま他の人が振った別の話題へと入っていった。
 
 
 
 
色んな人と話をしていると、
大きな世界観に触れることがある。
 
そして、大きな世界観を持つ人が
その世界観から見た景色を言葉にしてくれることがある。
 
 
その時、
 
「ああ、わかるわかる。
 それってつまり、こういうことでしょ?」
 
とか、
 
「それっていうのは、
 たとえばこういうケースの時はどうなん?」
 
みたいに、簡単に飲みこもうとするのは
非常にもったいないな、と個人的には思う。
 
 
もちろん、まったく理解が出来なければ
質問をすることは大切だと思う。
 
 
でも、普段自分が触れていない世界から発せられる言葉を、
自分の世界観に置き換えて、すべてを理解しようとするのは
非常にもったいない行為だと思うんだよね。
 
 
だから、
 
 
大切な言葉は「ああ、わかったわかった」と
ごくごく丸飲みにするのではなく、
じっくりと味わい、咀嚼をしたい。
 
 
もしかしたら、味わっているうちに、
自分で噛んでいるうちに、
当人が発した意味とはズレていくかもしれない。
 
でも、それでも自分の世界観を広げる
栄養になってくれるだろうし、
自己化しなければ、その言葉がかわいそうだ。
 
 
 
「あなたは、僕だから」
 
 
このシンプルな言葉の中に、
どれだけ大きな世界観が在るのだろう?
 
これを完全に自分のものにして、
その世界観から見える景色を見たら、
自分は、どう変化するだろう?
 
 
そんな風に思うので、大切な言葉に出逢った時は
 
「いかんいかん。言葉は飲みものじゃないぞ。
 丸飲みしたら、もったいないぞ。
 じっくりじっくり、一口ずつ噛み砕いて味わうのだ」
 
と、自分にブレーキをかけるようにしたいんだよね。
 
 
 
さてさて。
 
 
人によって、またその時のタイミングによって
響く言葉には差があるだろう。
 
 
その時の自分の世界観に響いた言葉を
それぞれがじっくりと味わえば良いと思う。
 
 
 
また、世界観の大きな言葉に出逢った時ばかりでなく、
人に相談をされた時なんかも、同様かもしれない。
 
 
悩んでいる人が言った言葉を、
相談者の世界観を通して味わってみると、
 
 
「ああ、わかるよ。
 そんなこと、大したことないよ」
 
「あー、昔、私も同じような経験してさー。
 あの時はどうだったかというと。。。」
 
 
みたいには返せないと思うんだけれど、どうだろう?
 
 
 
言葉は、飲みものではない。
 
丸飲みしてその人のすべてが分かるほど、
単純なものじゃない。
 
 
「大きな言葉」や、「世界観を表す言葉」は、特に。
 
 
じっくりと咀嚼して、味わい、
そして自分の世界観に溶け込ませてゆく。
 
 
そんなプロセスを踏んでいきたいなぁ、と
思う今日この頃。
 
 
ま、私が「言葉マニア」だからなのかもしれないけれど、
参考になれば幸いです。
 
 
大きな世界観、自分とは違う世界観を
自然に示してくれる人たちに大いなる感謝を持って。
 
 
ではでは。
 

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