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期待を定義づけしてみる

「期待」って、やっかいなものだよね。
 
 
自分が期待していたことが叶わないと、
とてもショックを受ける。
 
 
たとえば、
 
家族や友達からの反応とか、
 
仕事の成果とか、
 
恋愛とか、
 
遊びの計画とか。
 
 
なんでもそうなんだろうけれど、
 
「もしかしたら、こうなっちゃうかもしれないな」
 
とワクワクするからこそ、色んな行動が出来る。
 
 
 
でも、その期待が裏切られれば裏切られるほど、
大きく傷ついたりもするよね。
 
 
 
たぶん、ほとんどの感情は
期待を前提にして構成されている。
 
 
期待どおりだったら「満足・平穏」
 
期待を下回れば「悲しみ・怒り」
 
期待を上回れば「喜び・感動」
 
 
とても乱暴な表現だけれど、
感情の一側面であることは間違いないように思う。
 
 
 
 
 
つまり、自分の中の期待を
コントロールすることが出来れば
感情のかなりの部分をコントロールすることが出来る。
 
 
それは、人生を大きく左右するほどの
技術なのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
そこで、期待をコントロールする方法として
よく言われているのが
 
 
「物事の解釈を変える」
 
という方法と、
 
「期待を手放す」
 
という方法。
 
 
 
「物事の解釈を変える」
 
というのは、何かが起こっても
起きた事実をどう解釈するのかは自由。
 
だから、自分がポジティブになれるような
解釈を選ぼう!
 
という話。
 
 
 
 
また、
 
「期待を手放す」
 
というのは、そもそも期待するからいけないのであって
期待そのものをせず、期待を手放して
毎日を生きればいいよね?
 
という話。
 
 
 
 
どちらも、ごもっともで、
期待をコントロールするのに
充分な力を持っていると思う。
 
 
 
が。
 
 
そんなに人間が出来ていない私としては
 
 
「そんなん、いつもいつも出来へんわ!」
 
 
と思ってしまう。
 
 
 
 
解釈を変えるというのは、やれる時もあるけれど、
あまりにダメージのでかいことに当たると
 
「そうは言っても、辛いんじゃー!!」
 
と叫びたくなる。
 
 
 
また、期待を手放す、という方法については、
まだやれるほど人間が出来ていないらしく、
 
「期待を手放したら、
 無気力人間になるわ!」
 
と、なかなか手放すことが出来ない。
 
 
ああ、私って小人物(笑)
 
 
 
  
と、
 
 
 
そんな中で毎日もがいている中で、ふと、
 
 
「そもそも“期待”ってなんだろう?」
 
 
と、思ったんだよね。
 
 
 
普段から文章を書くのが好きで、色々書いているから、
言葉の「定義づけ」みたいなものも、
けっこう好きなんだよね。
 
 
 
そして、定義づけが出来た事に関しては、
自分の中でクリアになるから、
多少、気が晴れると言うか、気持ちよくなる。
 
 
 
なので、今回、自分なりに「期待」ということの
定義づけをしてみることにした。
 
 
 
 
いろいろ考えてみたんだけれど、
現時点の私がしっくりくる「期待」の定義は、
 
 
「明日の自分のプラス体験を信じられる状態」
 
 
だった。
 
 
 
 
たとえば、私は
 
「アメリカの大統領になれるかも・・・」
 
とか、
 
「宇宙飛行士になるかも・・・」
 
ということは、期待していない。
 
 
 
自分が望んでいるプラスの体験があり、
その実現可能性が高まった時に
「期待」は発生すると思うんだよね。
 
 
 
だとしたら、
 
「自分を信じられる状態なんだから、
 やっぱり期待するのはいいことだな」
 
なんて、あらためて思ったりするんだよね。
 
 
 
 
 
 
で、
 
 
「期待が裏切られる」というのも、
定義づけをすれば、多少はショックがやわらぐかもしれない、
と思い、こちらも定義をしてみることにした。
 
 
 
現時点の私の「期待が裏切られる」の定義は、
「期待」とセットで考えてみた。 
 
 
期待が
 
「明日の自分のプラス体験を信じられる状態」。
 
 
そして、
 
「期待を裏切られる」は、
 
 
「期待した“明日”が“今”ではない、
 ということを知った状態」
 
 
なんじゃないかな?
と定義してみたんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
家族や友達から、思ったような反応を得られないのも、
 
仕事で期待していたような成果が出なかったのも、
  
恋愛がうまく行かないのも、
 
遊びの計画が丸つぶれになるのも、
 
 
 
「期待」の状態で思い描いていた「明日」が、
自分が思っていたタイミングじゃなくて、
もっと後の「明日」なんだ、と知った状態が
 
「期待を裏切られた」
 
という状態だと思う。
 
 
 
 
まぁ、これを知ったからと言って、
期待が裏切られた時のダメージがゼロになる訳じゃない。
 
 
期待が大きく裏切られた時は、
思いっきり悲しんだり、悔しがったりしても良いと思う。
 
 
そして、思いっきり感情を爆発させた後で、
 
 
「あの時思い描いていた“明日”が、
 今じゃなかっただけなんだな」
 
と、淡々と思えば良いと思う。
 
 
 
 
これも、さっき書いた「解釈の変更」の
応用なのかもしれない。
 
 
でも、
 
出来事の解釈そのものの変更を思いつかない時は、
 
「“明日”って、今じゃないんだな」
 
なんて思って、
今起こっている事を
さらに将来のストーリーの一部にしてみるのもいいかな?
 
と思った次第。
 
 
 
 
期待が少ない人生よりも、
 
大いに自分に期待して、大いに傷ついて、
 
また、今じゃない明日を思い描いていくのが
人間味のある暮らしかなぁ、
と、個人的には思ったりする。
 
 
 
あなたは、あなたの中の期待と
どんな風に付き合っていくのがベストですか?
 
 
ではでは。
 

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