私の本業のひとつに、株式のトレーダーがある。
(ところで、本業って、
いくつまで持っていいのだろう?笑)
その中の基本的な分析ツールとして、
株価チャートっていうものがあるのね。
簡単に言えば
(まぁ難しく言ってもあまり変わらないけれど)
ある一定期間の株価の動きを、
時系列にグラフ化したもの。
縦軸に、株価の高低、
そして横軸に時間の推移をとって、
「この時は、株価が高かったのね」
「ここから、徐々に株価が上昇トレンドに
入ったのだなぁ」
などと視覚化してみて、今後の株価を予測する
というものだ。
とある株は、基本的に上昇トレンドを
維持していたかと思うと、
ものすごく乱高下している株もある。
さざ波のようにゆるやかな値動きの株価もあるし、
誰かの思惑により、本人(?)の意思とは無関係に
上がり下がりをコントロールされたような株もある。
でも、どの株にも言えるのが、
「時間軸を変えると、見え方が変わる」
ということ。
たとえば、1日の値動きを見ると、
ものすごく乱高下して、
忙しい動きをしているように見える株も、
1週間、1か月、半年のスパンで見ると、
さほどの動きではないように見えたりもする。
また、ここのところの株価が全然パッとしないで
「あー、もうー、ダダ下がりやん」
「全然、いいことないわ」
という風に見える株も、実は
「その株の高値から見て」調子が悪いだけで、
時間軸を伸ばして過去と比較すると、
今も、かなりの高値だったりすることも多い。
さらに、当たり前なんだけれど、
縦軸の「株価」の目盛りを、
その株がつけたこともないような安値と高値に設定すると、
どんなに乱高下しているように見える株価も、
さざ波のように、今も昔も平行の線みたいに見える。
で、
私は常軌を逸した量の株価チャートを
今までに見てきているんだけれど、
ずっと見ていると、どんどんクレイジー化してきて
「ああ、これって、人の人生そのままやん」
みたいにも見えてくる。
株価が、「人の幸せ/不幸せ」、
時間軸が「その人の過ごしてきた時間」、
そんな風に見えるわけ。
上昇トレンドに見える人。
地を這いずるような辛い時の人。
良いことと悪いことが、
クルクルと毎日のように起こっている人。
いろんな人がいる。
でも、
ちょっと時間軸を変えて見てみると、
上昇トレンドに見える人も、
過去には、どうしようもなく低迷していたかもしれない。
地を這いずるように見える人も、
いつかの「高値」と比べているだけかもしれない。
乱高下をしている人は、
その分、人との出会いに恵まれているかもしれない。
(株では、たいていそういう時は
その株の取引量は増えているものだから)
そして、
未来は、
どれをとっても誰にも分からない。
さて。
おそらくどの人の人生も、
ある一定期間を切り取ってみたら、
上昇トレンドで浮かれている時もあるだろうし、
ピクリとも何も動かない時や、
どんなにがんばっても浮かび上がれない時もあるだろう。
でも、時間軸を大きくとれば、
見え方は必ず変わる。
そして、どんな人の人生であれ、
自分が経験したこともないような不幸と、
自分が経験したこともないような幸福を
「縦軸」
に取ったら、どんな「人生の値動き」も、
実は平坦なものであった、と見ることもできる。
今、この文章を読んでいる皆様が、
直近の生活の中で、どんな状況なのかは
残念ながら分からない。
でも、そんな中で、
「時間軸を変えて、自分の幸せ/不幸せを見てみる」
と、また違ったとらえ方が
自分の中から湧き起こってくるかもしれない。
さらに言えば、
自分が体験したことのない「人生の高値」に目をやれば、
自分がまだ「道半ば」なのだと見えるかもしれないし、
自分が体験したことのない「人生の安値」に目をやれば、
実は、平坦な道なのかもしれないと思うことも
出来るかもしれない。
人は誰でも
「自分の人生は、ずっと上昇トレンドでありますように」
と願うものなのだろうけれど、
そんな人は、一人もいない。
少なくとも、一生の間、毎日、
昨日よりも「高値」になり続けた、なんて人はいない。
みんなの「人生の株価チャート」もそうなんだから、
自分の「人生の株価チャート」も、きっとそうなんだろう。
そんな、自分の「人生の株価チャート」と
うまく付き合うことができれば、
実は下降トレンドに見えている時も、
豊かさのタネを見つけることは、できるのかもしれないよね。
、、、と、偉そうに人生を語るワタクシの
人生チャートは、かなーり長期スパンで
乱高下しております(笑)
ではでは。