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言葉を投げる筋力。

先日、とある方の講演会に
友人に誘われて参加してきた。
 
大変失礼なんだけれど、講演会に参加するまで
 
「へぇー。
 で、その人って、誰?」
 
と、何も知らない状態で参加したんだけれど、
衝撃的に素晴らしい方だった。
 
 
インスピレーションが降り注ぎすぎて、
普段使っているメモを全部使い切る勢いで、
 
「このままだと、1か月くらい
 この人の講演のことしか記事にしないのでは!?」
 
と、変な心配までする始末だった(笑)
 
 
そんな素晴らしい講演で、
その方がさらりと言った言葉を、まずはシェアしたいと思う。
 
 
 
さて。
 
 
「重い言葉」あるいは、「軽い言葉」って表現があるじゃない?
 
それって、単なる比喩表現かと思って
あまり意識していなかったんだけれど、
それは私の認識不足だった。
 
 
 
言葉には、重量がある。
 
 
 
ある言葉は重いし、ある言葉は軽い。
 
さらに、言葉の重量は
シチュエーションによっても変化する。
 
 
そして。
 
重い言葉を投げかけて、相手に届けるためには、
言葉を投げかけた人の力量が試される。
 
 
 
たとえば、「愛」という言葉がある。
 
非常に気軽に使われている言葉だけれど、
「愛とは?」を語る事は、
非常に重い言葉たちを扱う事になる。
 
まるで、重い砲丸を投げるかのように、
すさまじくエネルギーを伴う行為のはずだ。
 
 
そして残酷な事に、
 
「愛」を語る人の力量、人間力が不足していると、
どんなに美辞麗句を並べて語ったとしても、
それは誰にも届かない。
 
その「愛」という「言葉の砲丸」は、
相手に届くことなく、むなしく足元に転がるだけだ。
 
 
 
「重い言葉」を投げるためには「筋力」がいる。
 
 
ここでいう「筋力」とは、
 
言葉を投げる人の人間力であり、
 
言葉を投げる人の半生そのものであり、
 
言葉を投げる人の覚悟である、と思う。
 
 
同じ言葉を発しても、
ズドンと肚に響かせることが出来る人もいれば、
ペラペラとどこかに飛び去ってしまう人もいる。
 
そして、それはその人の背景なんかを
まるで分かってなかったとしても、
なぜか相手は感知してしまう。
 
 
五感とは別の感覚で、
 
「あ、この人は本物だ」
 
「この人、なんか上っ面だ」
 
ということを、誰もが看破してしまう。
不思議なものだよね。
 
 
 
文章を書く量だけは、たぶん私は
他の人よりかは、多少は多いかもしれない。
 
でも、だからと言って
「愛」とか「平和」とか「人類」といった
 
「重量のある言葉たち」
 
を、一体どれだけ投げ、
届けられる「筋力」があるだろう?
 
と、ホント恥ずかしくなったんだよね。
 
 
でも、恥ずかしがっているだけでは、先に進まない。
だからと言って、一朝一夕に人間力がつくわけでもない。
 
自分にできることをコツコツやって、トレーニングして、
どんな言葉でもきちんと相手に届くところまで
投げることが出来る自分になっていこう。
 
そんな風にも思ったんだよね。
 
 
 
特に私は、言葉に対して思い入れが強いから
「言葉」にフォーカスして話をしたけれど、
 
たぶん、この「相手に届ける力」っていうのは、
言葉だけに限らないと思う。
 
 
行動とか、所作とか、アイコンタクトとかも同じ。
 
 
最終的に、というか始めから終わりまで、
相手に何かを「届ける」「伝える」というのは、
その人の人間力で決まるんじゃないかな?
 
なんてことを、あらためて感じた次第。
 
 
もちろん、技術的なことも必要だとは思う。
 
(そうじゃないと「伝える技術」
 なんていうセミナーをやっていない)
 
でも、それ以上に大切なのは、言葉や思いを届ける側の
人間としての力なんだろう、と思う。
 
 
 
半人前未満の私としては、今回の記事は
完全に自分に対する自戒となってしまった。
 
 
これからも、「届ける筋力」を
アップさせていきたいと思いますので
どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
今回、たくさんのインスピレーションと
エネルギーを降り注がせてくださった
田坂広志先生、ありがとうございます。
 
 
ではでは。
 

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